光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.10.24

無心の美――二見光宇馬・陶仏の世界

京都、祇園のギャラリー昂KYOTOで21日から始まった二見光宇馬(こうま)展。今回はごく小さな1cmから3cmほどの仏様がたくさん出品され、まさに圧巻の光宇馬さんの世界です。もちろんこの写真のような少し大きめのものも、まあるく優しいたたずまいで待っていてくださります。

初めて光宇馬さんの陶仏を見たのも昂KYOTOでした。展覧会ではなく常設の時で、フランスの美しい小さなアンティークのしつらえの傍に、そっと置かれていたのを覚えています。

なんだろうこれ…顔を近づけ、仏様だと分かった時は、ちょっとびっくりしました。

掌に乗る大きさのその仏さまは、小さいのに存在感が尋常ではありません。のんびり、おっとり笑っているようにも見え、くつろいでいる様子なのに、圧倒的な気品があるのです。

それでいて、押しつけがましさがまったくありません。水のようにさらさらしたオーラなのです。

心に浮かんだのは「無心」という言葉でした。

今回はメダルのような平たい陶器に仏様を描いた作品も。茶色の色は希少なみかん灰の釉薬を使ったもので、その自然の色味がとてもきれいです。バッグにしのばせたり、机の上に置いたり、いろいろな方法で仏様と共にいられるのが嬉しい。

無心で生きることほど、自分にとって難しいことはありません。欲が深く、努力もしますが執着もまたすごい。

ある年齢を経て、そうした心の問題を重く感じ始めていたとき、光宇馬さんの仏様は静かに、しかし忘れられない印象を残しました。

最初に求めたのは2016年、昂KYOTOの永松仁美さんが梅田阪急で開催された「楽しき愛しきお誂え」展の時。

大切な友人へのお祝いに蔵王権現の小さなものを買いました。自分のためにはまだ早い、どこか心のなかでそんな声もして…。

ご縁があれば、また会えるはず。欲をかいてはいけないと戒める、内なる声に従いました。

その時、在廊されていた光宇馬さんにもお会いしました。作品の仏様とそっくりの、男性ながら純真な、そして少し浮世離れした雰囲気に驚いたり、納得したり。

どんな方なのだろう、どんな暮らしの中から、このような作品が生まれるのだろう、と興味が湧きました。

新作は、壁に掛けることのできるものも。インテリアのスタイルを選ばず、部屋に自然に溶け込みそうです。

光宇馬さんは京町家の工房で、電気も冷暖房もなくストイックに暮らしているらしい、という噂が聞こえてきました。

本当かしら、でも彼ならあり得る…そんなことを思いながら、今回、永松仁美さんにご紹介いただき、本邦初、ご自宅兼工房を見せてくださるというお言葉に甘えて、御所東を訪ねました。

北側に一つだけある窓からの光だけで、隅々まで清められた四畳半の仕事場が、絵のように浮かび上がります。

京町家らしい小さなお玄関を入ると、中は意外なほどゆったり感じます。そこは、見事なまでに端正な、美しい空間でした。

窓からの光に浮かび上がる仕事場は、まるで小津安二郎の映画のよう。ものが少なく、置かれているものはすべて吟味されているからでしょうか。

ご実家から持ってきた拭漆の茶箪笥も、モダンな木のベンチも、キッチンにさりげなくかけられている豆絞りの手ぬぐいまで、すべてが用の美です。

これでは電気も必要ないですかね、と言うと、彼は笑って「いやいや、電気も、ヒーターもちゃんとあるんですよ。ただ、使わない癖がついてしまって。なくてもいいし、底冷えする日は、火鉢に炭をおこし、それでもだめなら、お風呂で身体を温めてから制作に取り掛かります」

伺った日は雨で外は暗く、キッチンのレンジフードの灯りだけをつけていらしたのですが、それにすっかり馴染んでしまい、いつしか心が落ち着いてきます。

そうか、心が落ち着くとは、こういうことだったのか、と改めて感嘆しました。

明かりも音も空調も、現代人の暮らしは実は過剰で、心の平安をかえって奪っているのかもしれません。

食事は基本的に自炊。京都に来てからはあまりお酒は飲まなくなったとか。
窓辺に置かれた机の上に、きちんと整理され、手入れされた仕事道具。縫い針を自分で木の柄に差込んだものを使って彫る。小さい仏様には縫い針が丁度いいそう。

この空間の美の源をかたちづくっているのは、完璧に行き届いた掃除です。

毎朝、5時に起き、掃除をするところから1日が始まるそう。まずトイレ、次に床を雑巾がけします。

日課であるこの掃除は、実は光宇馬さんの仕事と人生にとって、深い意味がありました。

大学で農学を修め、東京でお兄さんと暮らしていた30歳くらいの時、最愛のそのお兄さんが亡くなられたのです。

音楽を通して、物づくりの影響も受けていた長兄を喪い、ふさぎこむ彼を見かねたご両親が、知人の陶芸家と引き合わせ、通いの内弟子に入りました。

陶芸家の元で毎日、見よう見まねでする掃除から始まった修業。

「人間はいつ死ぬかわからないので、死んだ後に身の回りの物がそのひとを語るようなところがあると思うんです。だから死ぬ準備と言うか、その瞬間を整える、きれいにすることがとても大事だと。命をいただいて、いろいろな経験をさせてもらっているので、その命への礼儀という気持ちで、なるべく手の届く限りきれいにしていたいと思うんですね」

ああ、耳が痛い。でもなんて素晴らしいのだろう。

「お掃除が何より大切、夢とかよりも大切です」と光宇馬さんは言い切りました。

命への礼儀という言葉が心に深く残ります。

陶芸の修業を始めてからしばらくした頃、あるひとに自作の器を見せる機会がありました。するとそのひとは、何を思ったか「あなたには仏様をつくることができるので、やってごらんなさい」と言ったのです。

最初は何のことがわからず、でも少しずつ勉強したり、仏像を見たりしていくうちに、作り始めると、どんどんできていったそうです。

それから現在の道に入られ、故郷の熱海を離れ、京都での暮らしも2年半を過ぎる頃となりました。

はじめのうちはお兄さんに手紙を書くようなつもりでひと月に一体とか二体をつくっていたのが、すぐに数が増え、するとお兄さんと会話するような気持ちが生まれ、いまも二人で一緒に彫っているような気がするそうです。

だからこそ無心、無欲でいられるのかもしれません。「あまり無理して、いい仏様にしようと思わないようにしています」と言う言葉は深く響きます。

ひとの人生の大変さはほとんどが、もっとよくなりたい、と思う欲から来ているからです。

光宇馬さんの静かで強い信念は、死のかなしみを体験したときから育まれてきたのかもしれません。

季節に寄り添い、空間を清め、自然体で生きる。お兄さんがその命で導いてくれたこの道で。

ご自身のつくられる仏様に似た、温和で優しい面差しの光宇馬さんに、これからも無心のまま、巧まず彫り続けていってほしいと願わずにはいられません。

京都に住むようになり、花を大切にしているギャラリーが多いと感じている、と光宇馬さん。昂KYOTOでは大黒晃彦さんの花が仏様たちを彩ります。店主の永松仁美さんは「最初に拝見した時は衝撃でした。光宇馬さんの作品は、毎回集めたくなるというお客様が多いのが特徴ですね」今回の展覧会では、パリのアンティークの銀の小物やガラスのベースと合わせて、素敵な飾り方を提案されています。展覧会は10月29日(日)まで。
今回、わたしが購入した掌に乗る大きさのプレート。選んでいるうちに、いろいろなひとの顔が浮かび、プレゼントしたくなってくるから不思議です。