お金をたくさん得て、物にも食にも満たされた生活を目指してきた20、30代と違い、「このまま同じものを求め続けて、果たして幸せでいられるんだろうか?」と迷い始める読者は多いようだが、“アフロの稲垣さん”として知られる稲垣えみ子さんは、その疑問を大胆な形で実行に移した人だ。50歳にして会社を辞め、ほぼすべての家電を捨て、最小限のもので暮らし始めたことで、「その辺に転がっていたのに見ていなかった」という幸せに気づいたという。今回mi-molletは、その稲垣さんの“魂の退社”から“冷蔵庫を捨てること”、そして最小限のものしか持たない今の生活についてまで、とことん伺った。その模様を、mi-mollet版『情熱大陸』ならぬ『幸せ大陸』として、三部構成でお届け。稲垣さんのお話から、“これからの自分に必要な幸せ”を見つけるヒントを見出してもらえたら幸いです!

稲垣えみ子 1965年生まれ。愛知県出身。一橋大学卒業後、朝日新聞社に入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て、論説委員、編集委員を務めるも、2016年1月に退職。夫なし、子なし、冷蔵庫なし、仕事もしたりしなかったりのフリーランスな日々を送っている。著書に『魂の退社 会社を辞めるということ。』、『寂しい生活』(ともに東洋経済新報者)、『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)などがある。


お金さえあれば満足できると思っていた

 人生100年と言われる昨今。ちょうどその折り返し地点である50歳にして会社を辞め、冷蔵庫もエアコンもなし、ガスはただ1個のカセットコンロのみという“持たない生活”を始めた稲垣えみ子さん。アフロヘアというインパクトのある外見と、その特異な生活が『情熱大陸』(TBS)で紹介されると、世間は「何だ、この生き様は!?」と共感反感の両方を持って大きく反応した。東日本大震災を機に節電に取り組み始めたという稲垣さん。共感だけでなく反感までもが大きかったのは、節電生活の果てに稲垣さんが捨てたものが、それまで多くの人が幸せの象徴だと信じていたお金やステータスだったからだろう。というのも稲垣さんが辞めたのは、給与も知名度も高い朝日新聞社だったからである。

「私が入社したときはまだバブル時代で会社も好調でしたから、正直、『うまいこといい会社に入れた、一丁上がり!』と思ってました(笑)。というのも、当時は『いい学校』『いい会社』『いい人生』というのが黄金の方程式で、それを全く疑わずにきてましたから。お給料のいい朝日新聞社に受かって『人がうらやむような生活に近づいた』と思ったし、当然定年まで勤めるつもりでいました」

 その後稲垣さんは、地方勤務を経て、花形部署の一つである社会部に配属。インタビューや連載など企画モノで独自の存在感を発揮していた。ところが……。

「会社を辞めたのは、決して仕事じたいが嫌になったわけではなくて、けっこう機嫌よくやってました。でも『魂の退社』にも詳しく書いたのですが、40歳前になった頃から、同期の男性記者たちが着々と“キャップ”というポストに上がっていく中で、どうも自分はそういうコースから外されているらしいと。で、それはもしかして差別なんじゃないかと・・。ショックだったのは、そのことに自分が自分でも意外なほど傷ついたこと。当然のことですが、会社には差別なんてないというのが建前だから誰に文句を言うわけにも行かない。気持ちの持って行きようがない。こんな調子でこれから会社で何十年も勤め続けられるのかと、ものすごく不安になりました。でも一方で、会社がくれる高給にどっぷりと浸かっている自分もいたんです。世の中は不況に入っていましたが、新聞社のお給料はまだまだよかったんですね。だから今思えば本当にめちゃくちゃなお金の使い方をしていました。高級マンションに住み、お気に入りの店で一度に服やら靴やらダーッと買っては店員さんに崇められ、雑誌で見たフグの白子鍋をタクシー飛ばして食べに行く、というような……」


“下がっていく人生”を意識し始めた40代

「会社員だった頃の自分は、お金で欲を満たせることが幸せな人生だと思っていた」と振り返る。

 しかしどんなにお金を使えども、「もうこれで満足」と思える日は来ない。やがて稲垣さんは、それは“降りられない列車だ”ということに気づく。

「今は人生100年と言われますけど、当時の私は人生80年という感覚で、40歳になったとき、『ここが折り返し地点だ、これから下り坂に突入していくんだ』とハッとしたんですよね。そこで初めて『ずっと上がる人生ばかり見ていたけど、お金然り、健康然り、下がっていく人生も意識しないと』と考えた。それまでの私はお金があれば幸せでいられると思っていたんです。でもその価値観のままでいると、お金が減ってきたときに“我慢の人生”になる。マズい、そうなったら地獄だ、これは『お金がなくても幸せ』という価値観を自分の中に作らなければと思ったのが、今思えば、会社を辞めることにつながる最初のきっかけでした」

 それからは試行錯誤。「お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立」を目指して、当時の赴任先であった香川で農産物の直売所に通い詰めたり、休日に山歩きをしては、すれ違ったお遍路さんの笑顔に涙が止まらなくなったり。そんな中、あの世紀の大惨事が起こる。東日本大震災だった。

「節電を始めようと思ったのは原発事故にショックを受けたからで、『お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立』とは別の動機だったんですが、結果的にそれが、会社を辞めても生きていけるという自信につながっていった。というのも、詳しくは『寂しい生活』という本に書いたんですけど、ほとんどの電化製品を捨ててみた結果、全然大丈夫じゃん!と。むしろないほうが、掃除も料理も工夫するから面白い。さらに時間もかからない。家も広くなる。となると、一体これまであれこれと便利なものを一生懸命買い揃えていたのはなんだったんだと。そこから「失うこと」への恐怖がなくなっていったんです。電化製品もお金もないと暮らせないと思っていたけれど、ないほうが豊かで面白いこともたくさんある。何も怖がることはないじゃないかと」


チューブを外して自分の足で歩こう!

 ここで稲垣さんはおもむろに、「スパゲティ症候群という言葉がありますよね」と話し始めた。スパゲティ症候群とは、重い病気の治療のためたくさんのチューブにつながれた状態のこと。外すと生きていけないので、ベッドにじっとしているしかない。

「私ってある意味、このスパゲティ症候群の病人だったなーと。会社やお金、便利な電化製品というチューブにつながれて、生きている。それは安心ではあるけれど、ベッドから起き上がることはできないわけです。今思えば、私がやってきたことは、チューブを一本一本外すことでした。テレビ、電子レンジ、冷蔵庫……と、これを外したら死ぬんじゃないかと怯えながらも勇気を出して一つ一つ外していったことで、ようやくベッドから起き上がって自由に歩けるようになった。で、調子に乗って、ついに会社という最大のチューブまで抜いてしまったんじゃないかと」

 会社というチューブを抜いてみて、一番強く感じたことは何だったのだろうか?

「自由、でしょうか。みんな『自由になりたい』って言うけど、それってお金があって得られるものだと思っているところがありますよね。私もずっとそうでした。お金があれば働かなくていいとか、行きたい場所にも自由に行けて物も好きなだけ買えるとか。でも家電を捨てたとき、意外にも、ものすごくせいせいしたんですよね。実は「何もなくてもやっていける状態」こそ真の自由なんじゃないか。実際に今、お金をたくさん稼いでいた頃よりも、はるかに爽やかに安心して暮らせている気がします」

「思えば会社を辞めるための予行演習だったのかもしれない」というアフロヘア。実際にお会いして見てみると、かなりしっくりきていてナチュラルな印象!?


 思い切った方法で、『お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立』に見事成功した稲垣えみ子さん。中編は、稲垣さんが会社を辞める大きな転機になったという、冷蔵庫を捨てるまでの経緯、そして捨ててみて気づいたことについて詳しくお届けします。お楽しみに!!

中編は12月31日公開予定、後編は1月5日公開予定です。

今回のインタビューの完全版がこちらの三部作!

 

退社を決意するまでの経緯を綴った
『魂の退社 会社を辞めるということ』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)東洋経済新報社

朝日新聞社という誰もがうらやむ会社に勤めながら、退社を決意したその理由とは? 稲垣さんが「お金=幸せ」という考え方を変えていく詳細な心理過程が描かれていて、40代以降の人生について考えさせられる1冊だ。
 

 

冷蔵庫を捨ててみて見えたものとは!?
『寂しい生活』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)東洋経済新報社

節電生活の末、会社を辞めた稲垣さん。一つ一つ家電を捨てるまでの経緯と、その後の生活の詳細、そして冷蔵庫のない暮らしから得たものについて綴った1冊。便利の象徴である電化製品は、実は私たちから多くのものを奪っていた、と気づかされる。
 

 

読めば絶対に実践したくなる!
『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)マガジンハウス

冷蔵庫を捨てたことで、食品の保存ができなくなった稲垣さん。そんな生活から編み出された「旨すぎる」食卓とは? 1食平均200円。準備時間は10分。お金も労力もかからなくて大満足できる究極のメニューをたっぷり紹介!
 

撮影/横山翔平(t.cube)  取材・文/山本奈緒子 構成/大森葉子(編集部)