「草間彌生 わが永遠の魂」展エントランスに掲げられたポートレート。

六本木の新国立美術館で開かれている「草間彌生 わが永遠の魂」展を観てきました。

草間彌生は1929年生まれ、88歳になるいまも、日本を代表する現代美術家として精力的な活動を続けています。

60~70年代に青春時代を送ったわたしにとって、草間彌生は、気がついたら「いた」というほど自然な存在でした。

この時代、彼女はニューヨークにいて、ハプニングと呼ばれる前衛パフォーマンスを中心に活動し、カウンターカルチャー系の雑誌などにはよく記事が載っていました。

この頃、そんなことをニューヨークでやっている日本人は他にはいなかった。

好きとか嫌いとか以前に、存在自体が「時代」そのものだったのです。

でも、当時、まだ戦後を引きずっていた日本では、そうした活動がスキャンダラスに報道されたせいもあり、世界に比べ、評価は著しく遅れたと思います。

今回、美術館のエントランスには、木々も水玉の布を巻かれておしゃれしています。

それに抱きついて写真を撮る学生たちのグループ。

会場に入ると、そこそこゆったり観ることができるのに、グッズを扱うショップは40分待ちの列!

展示よりグッズが若いひとたちに人気なのだと思うと、なにか隔世の感があり、このアーティストの歩んできた長い道のりを思わないではいられません。

さて、最初の展示室は、2009年から制作に入っているという「わが永遠の魂」シリーズの連作132点が、三面の壁を埋め尽くしています。

あまりの迫力と溢れかえる色、エネルギーの強さにフラフラになり、一度休んで出直しました。

単色で塗られた大型キャンパスにアクリル絵具で、下書きもせず、猛烈なスピードで描いていく姿を、ドキュメンタリー番組で見たことがありますが、まさに天才そのもの。

同じその番組で「ウォーホールもピカソも出し抜いて、トップに行きたいわけよ、トップの作家になりたいの」と語っていますが、その言葉が清々しくすら感じられます。

最初の大きな部屋は132点の連作と、立体作品の「真夜中に咲く花」、「明日咲く花」が展示されている。かなり広く、見ごたえがあるが、初期作品から観てきて、最後にまた戻りたい。
「わが永遠の魂」の一部


草間彌生は幼少期から絵が好きな子どもでした。が、10歳になるころから幻覚や幻聴に悩まされるようになります。

裕福でしたが諍いの絶えない父母との生活や、戦争といった暗い日々の中で、河原の石がある日、何億個にもなって迫ってくる、家の前のスミレ畑のスミレが人間の顔をして語りかけてくる、という体験をします。

恐怖にかられて家に駆け戻り、押し入れの中に入ってがたがたと震えるしかなかった、と自伝の中で語っています。

水玉も、増殖する網も、また、初期作品のソフトスカルプチャーで覆われた家具も、すべてはその、生きる恐怖から必死で逃れるために描かれたのです。

「こうした苦しみや不安や恐れと日々闘っている私にとって、芸術を作りつづけることだけが私をその病から回復させる手段だった」

もしそれがなければとうの昔に自殺していだだろう、と語っています。

今回の展覧会は、そうした画家の心の軌跡を辿る初期作品の充実が、もう一つの見どころです。

苦しみから生まれた作品はしかし、言いようのない美しさがあり、詩や小説、映画、ファッション、そして自己プロデュースまで、すべてに才能を発揮するところは、まさに天才の天才たるゆえんです。

この展覧会は、美が決して口当たりのいいものばかりではないということを改めて知る機会でもあり、そしてなにより、人間というものの不屈の魂を、じかに素手で触るような感覚を得ることができるものです。

観終わった後、ちっぽけな自分でも、魂の力を信じよう、突き進んで行こう、という気持ちになりました。

10歳の時の写真。自分で選んだ花を手に。この頃からすでに只者ではない面構え。「無限の網―草間彌生自伝」(新潮文庫)より。
1956年にユスフ・カルシュによって撮影されたアメリカの画家、ジョージア・オキーフのポートレート。1957年にニューヨークへわたるとき、草間彌生はアメリカ大使館で住所を調べて、ジョージア・オキーフへ手紙を書いた。当時、オキーフは69歳、すでにアメリカを代表する大作家であったが、優しい口調の返信が届いたという。そして、自分の画商まで紹介してくれた。厳格で気難しいイメージのオキーフの、違う一面を見るようで、驚かされる逸話。写真は「ジョージア・オキーフとふたつの家 ゴーストランチとアビキュー」(KADOKAWA)の中の1ページ。
新国立美術館のエントランスの木。展覧会は5月22日まで。火曜日休館。気圧の安定したお天気で、元気な時に行くのがオススメ。