『はじまりへの旅』
監督:マット・ロス
出演:ヴィゴ・モーテンセン、フランク・ランジェラ、ジョージ・マッケイ
配給:松竹 4/1よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開

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いつの間にかスマホの暗証番号を覚え、親が忙しいときなどは思う存分、大好きな恐竜や『仮面ライダーエグゼイド』などの動画を見ていている保育園児の息子。これはかなりよろしくない事態では、と反省しつつもついついインターネットに頼ってしまい、また猛省……という無限ループに陥っています。そんな毎日を過ごしている私にとって、『はじまりへの旅』で描かれる子育て環境は、「あきらかにやりすぎ!」と「でもひとつの理想ではあるよね」というふたつの気持ちを抱かせるものでした。

 

アメリカ北西部の山奥に住むキャッシュ家。独自の教育方針を持つ父のもと、電気もインターネットも使わず、6人の子どもたちが本気すぎる自給自足の生活を送っています。狩りをして食料を調達し、崖を登って体を鍛え、火を囲んで哲学書や文学作品を読みふける。世間から隔絶された暮らしを送る子どもたちが、“下界”で入院中に亡くなった母のある最後の願いをかなえるために、バスに乗り込んではじめての旅に出ます。

コーラもナイキもアディダスも知らない彼らが文明に触れて目を丸くする場面や、異性とはじめてキスをした瞬間、理論的に「脳内にエンドルフィンが出ましたー!」的な告白をしてしまう場面など、いくつものカルチャーギャップが生むユーモアに大笑い。ヒッピーテイストのファッションもものすごくかわいい! けれども物語が進むにつれて、偏った理想主義にとらわれる父親と、新しい世界を求める子どもたちの対立が露わになっていきます。

 

ヴィゴ・モーテンセン演じるこの父親は、決してただ依怙地で居丈高なタイプではありません。子どもたちの声にはちゃんと耳を傾けるし、どんなことを聞かれても(セックスについても!)誠実に答えながら、考える力を育んできたフェアな面を持つ人でもあります。そのベースには妻や子どもたちへの惜しみない愛情があることも、痛いほど伝わってきます。それと同時に広い場所を求める子どもたちの思いも、もちろん理解することができました。いくら何ケ国語が話せても、音楽や歴史や法律に詳しくなっても、それを生かしたり、試したりする心弾む場所がなければ、すべては意味をなさないのですから。

 

理想や信念を貫き通すのか、子どもたちの未来を一番に考えるのか。その選択を迫られたときに父親がとった、自分の弱さや過ちを引き受ける態度は、とても立派なものだと思いました。親と子、理想と現実がぶつかりあった先に、味わったことのない感動が待っているロードムービーです。

 

PROFILE

細谷美香/1972年生まれ。情報誌の編集者を経て、フリーライターに。『Marisol』(集英社)『大人のおしゃれ手帖』(宝島社)をはじめとする女性誌や毎日新聞などを中心に、映画紹介やインタビューを担当しています。
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