念願だった日本でのOL生活
でもハッピーではなかった

オーストラリアに帰国してからも日本への思いは募り、大学では日本語を専攻した。日本に戻りたい、との一心で、卒業後はゴールドコーストにある日系企業に就職。念願だった東京支社への転勤も果たす。ところが、

「日本と関わる仕事に就くことができて、日本にも戻って来られたけれど、当時は毎日会社に行くことが、あまり楽しくはありませんでした。ハッピーではなかった。それは、自分の仕事に対して情熱を持てなかったから。じゃあ、自分が本当にやりたいことは何だろうとすごく悩んだ末に、以前から興味があった栄養学を学びたいという答えにたどり着きました。それで会社を辞めて、通信教育で勉強を始めたのです」

25歳でシドニーに戻り、再びの学生生活に。ネイチャーケアカレッジで栄養学を学び、さらにはシドニー工科大学でメディカルサイエンスと東洋医学を修める。真に情熱を捧げられる目標を得て勉強に邁進する日々は充実感をもたらす一方で、生来の完璧主義が災いしてか、体を壊してしまったことも。

「腎臓を患った上に、慢性疲労と診断されました。完璧主義なところは父譲り。何でも完璧にやらなければ気が済まない、成績はオールAでなければ……、そんな性格って、正直疲れますよ(笑)」

寄り道あり、涙あり
20代、30代は苦悩の連続でした

学び得た栄養学の知識を生かしてキャリアをスタートさせたエリカさんは、2000年、31歳で再び日本へ。2004年からはミス・ユニバース・ジャパンの公式栄養コンサルタントを8年間に渡って務めた。その後、現在に至るまでの活躍ぶりは、誰もが知るところだ。

「何もかも順風満帆でここまで来た――。私のことをそんなふうに思っていらっしゃる方も多いと思います。でも、20代の頃は仕事への情熱を見出せずに悶々と悩んで、それからとにかく一生懸命勉強しました。30代でこの仕事を始めてからも、なかなか自分に自信を持つことができなくて、壁にぶつかってばかり。初めて書いた本は、出版社に何度も断られて、実際に出版されるまでに大変な時間がかかりました。それに、私はもともと極度の恥ずかしがり屋なので、人前で話すことが大の苦手。大きな失敗を何度も重ねて、何とか慣れてきたのは30代半ばになってからのことです。寄り道もしましたし、涙もたくさん流しました。でも頑張った。ようやく、この仕事に手ごたえを感じて自信を持てるようになったのは30代の終わり、そう、40代を迎える頃。ここ数年のことなのです」