塗師の赤木明登さん、ギャラリストの赤木智子さん夫妻が、全国を巡って見つけたギャラリーや民藝店、カフェ、書店などを紹介した『うつわを巡る旅』。その中から、能登編、倉敷編をご紹介してきました。今回は、奥能登に暮らす赤木ご夫妻の愛用しているうつわをご紹介いたします。

能登の暮らしから
骨董も民藝も日常の中に

今回の旅の途中、新潟の「エフスタイル」で購入した6寸の銅鍋。銅は鉄の5倍、ステンレスの25倍という熱伝導性があるので、青菜が色鮮やかにゆでられる。黒く落ち着いた風合いに変わっていく経年変化を楽しめるのも、素銅製ならでは。
赤木家では、智子さんが淹れるお茶がお出迎えの定番。イバタカツエさんの湯飲みでたっぷりと。イバタさんとは、智子さんが大学卒業後に勤めたギャラリーではじめて個展を開いたときからの縁。急須は秋田小夜子さんのもの。
フランスのアンティークの大鉢。どこで手に入れたのか覚えていないけれど、茶懐石で焼きものなどを盛りたいと思って求めたそう。大人数で食卓を囲むことが多い赤木家では、煮込み料理にサラダに、とふだんから活躍している。
浅井庸佑さんは陶芸家として独立後、10年は何もつくらず、ただ「土」をつくっていたという経歴を持つ。この李朝うつしの猪口は、人肌になじむような柔らかい質感が特徴。智子さんの「生活道具店」でも扱っている定番の一品です。中央の大鉢は黒田泰蔵さんのもの。


「小学生の頃から古道具好きだった」(明登さん)
「モノが好き、モノに執着があった」(智子さん)

「ぼくは小学生の頃から古道具が好きで、近所の古道具屋さんのところによく遊びに行ってました。子どもだから、そう買えるわけではなくて・・・・・・拾ったりもしていましたよ(笑)。ぼくが生まれた1960年代、日本はまさに高度経済成長期で、家庭にある食器が手工藝品から工業製品に入れ替わっていく時代だったんです。黄色とかピンクのつやつやのパステルの食器が一気に家庭の中に入り込んできて。それまで家で使っていた印判とか染付のうつわが急に古くさく見え始めた。そして、みんなそれを捨てはじめたんです。ぼくの子ども時代は、ゴミ捨て場にそういうお皿が山積みになっていることがあって、それがすごくかわいそうというかもったいない気がして、見つけるとごっそり拾ってました。それがそもそもの始まりですかね」(対談より/P14)

同様に、智子さんも「母親がぼろぼろのアルミポットをくれたんです。ゴミ捨て場でこんなの出てたから。好きでしょう? って拾ってきてくれて。その瞬間になんていうか、理解を得たなって感じました(笑)」という経験の持ち主。

ふたりのそんな長い「モノ好き」の歴史から、今回の本ではうつわを巡る日本の現状も考察しています。

 

『うつわを巡る旅』―能登編はこちら>>
『うつわを巡る旅』―倉敷編はこちら>>
 

 

<新刊紹介>
『うつわを巡る旅 ほしいものはどこにある?』

赤木明登 赤木智子
A4 176ページ 1600円(税別)
講談社  
ISBN978-4-06-299873-4

赤木明登/あかぎあきと
塗師。岡山県生まれ。編集者を経て1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業後、1994年に独立。以後、輪島でうつわを作り続け、各地で個展を開催。現代の暮らしに息づく「ぬりもの」の世界を切り開く。著書に『美しいもの』(2006)、『美しいこと』(2009)、『毎日使う漆のうつわ』(2007/以上すべて新潮社刊)ほか。

赤木智子/あかぎともこ
エッセイスト。東京都生まれ。現代陶芸を扱うギャラリーで働いたのち、1987年に明登氏と結婚。ともに輪島へ。工房のおかみさん業の傍ら、2005年より、自身が使う食器や衣類などを展示販売する「赤木智子の生活道具店」を各地のギャラリーで開催。著書に『ぬりものとゴハン』(2006/講談社)、『赤木智子の生活道具店』(2010/新潮社)、明登氏との共著で『うちの食器棚』(2013/新潮社)。


撮影/青砥茂樹(講談社) 構成・文/山本忍(講談社)