2015.4.1

MoMAニューヨーク近代美術館でのこと

こんにちは
百瀬今日子です

東京は桜が見事です! 
いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか

先日NYの話をしまして、今回もニューヨーク話です。

しかも ニューヨーク近代美術館(MoMA)についてです。

 

画像出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Times_Square

15年ほど前、ニューヨークにいたとき以来お世話になっている高橋紀子さんに先日久々にお会いしました。CCNYという大学の大学院で、美術史・博物館学のMAコースがたまたまごいっしょでした。紀子さんは今も美術関係のお仕事をしていらっしゃいます。

紀子さんも私もMoMAでの修行経験があり、ランチをしながら、そんな話題なども。


MoMAのEducationという同じ部署でしたが、紀子さんはその中でスクールプログラム、私はアクセスプログラム(Special Needs Programとも言っていました)でした。

Education、つまりお客様と作品(ないしは美術館)をつなぐプログラムをつくる部署、ということです。日本では教育プログラムなどといわれたりしているかと。


障害をもった方々へのアプローチである、アクセスプログラムという分野は、当時日本では稀有でした(いまも実はそうかしら。) 私は、あえてこのプログラムへのインターンシップにアプライ(申請)し、夏の報酬付きフルタイムから、それ以降は適宜という形で、ほぼ3年お世話になりました。NYにいる目的のひとつはそのためだったともいえます。フランチェスカ・ローゼンバーグ、スティラ・ザスマンというスタッフのもと。

 
 

たとえば、目の不自由なかたとご一緒に、彫刻を手で触るタッチツアーをはじめ、知的障害の学校からのグループとデザインチェアを鑑賞し、試したりしたあと、ミニチュア椅子を実際につくるプロジェクトをしたり、エイズ患者さんたちのグループ等との作品鑑賞など。逆に美術館を飛び出し、施設へ行って彫刻作りや描くことに興味のある方々とワークショップをしたり。いろいろと。

このAccessProgramでは、基本的にお客さまがどういった障害なりをお持ちであろうと、めざすは、それぞれ「どう感じるか」「どう思うか」という、お客様自身の中の答えや感じ方を引き出す、あたため合う、という方向性でした。個々にその時間を通じて、その方なりに楽しんでいってほしい、というアプローチ。

そして ある程度お客様の状況等に応じて特定の配慮をすることはありましたが、基本的にお客様を一個人として対応していました。それは言葉で教えられたわけではないのですが明らかにそうでした。


一見、内向的で静かそうなかたが、「そういえば、私・・・!」などと、突然目を輝かせてお話なさることなどもありました。こうした感情が突如オープンになる瞬間を何度も目の当たりにしました。


ガイド役であるエデュケーターなりが、導入として作品解説を少ししたり、適宜補足をすることはあっても、ある特定の答えを導いたりはしませんでした。オーダーメードであり、臨機応変な対応。

つまり、「こういうタッチの絵はなんと呼ばれているでしょう? 印象派です。(終了)」といった、解説とともに明確な答えやゴールへ誘導するためのガイドではなく、どちらかといえば、そのかたなりの文脈でいいから、作品を観て「どう感じるか」。そしてそれを自然な形で「ともに楽しむ」といった方向性でした。


Education(教育)というと、一方的に教える、レクチャーする、といった印象があるかもしれませんが、どちらかというと、コミュニケーションに近かったです。


たとえるならば、国語の授業で、夏目漱石や黒い雨といった作品を読んで、それぞれの内容や題名などから思ったことや感じたことを 好きに伝えながら、それぞれなりに味わう、といったやり方でした。
 

それがあまりにも私にはナチュラルであり、心地よく、しかもそこがはじめての修行先でもあったせいなのか、上記のような方向性をうまく言語化することが正直、長年できませんでした。


折々「美術ってどうやってみたらいいんですかね?」 といったご質問なりを受けることもあるのですが、「好きにみていいんじゃない?」 という答えぐらいしかできませんでした。
ほかにも、友人と美術館や、展覧会等にいったとき、説明してほしいと求められることもありますが、それは私がすることじゃないし、好きにお感じになられたほうが、とおもっていました。
 

というのは、MoMAが行うようなアプローチに共感を覚え、私の中であたりまえになっていたからでしょう。アートは教えるものではなく、大切なのは、それぞれの感じ方が、その方々の中にある、と思っているからです。


先述の高橋紀子さんにお会いしたとき、一冊の論文集をいただきました。
その中には、文化庁主催第1回ミュージアムエデュケーター研修での講演として、東京都美術館アートコミュニケーション担当係長・稲庭彩和子氏と紀子さんがニューヨークの美術館調査・考察をなさった報告記録の再構成論文がありました。

題して、「ニューヨークの美術館教育プログラムの現在」。

その中でMoMAのアクセスプログラムについても書かれており、以下のような記述も。

”ミュージアムの教育プログラムが、学術的な情報を噛み砕いた内容の提供よりも、より個々の生に寄り添い、展開している試行”

”人々と作品をつなぐ回路としての教育プログラムへの参加を通し、参加者個々の物語が共有され、共感をはぐくむコミュニケーションが生まれ、生きる意義の探求につながっていく。”


そうです。まさしく、そのとおり。

この論文にもありましたが、日本の美術館・博物館では、「修復・保管・展示・研究」を通じて蓄積された、作品に関する学術的で高度な情報を、お客様の年齢層などに合わせて噛み砕いて提供などはされてきました。しかし、個人的な文脈による主観的情報をアプローチすることはあまり積極的ではなかったのです。

あたりまえかもしれませんが、そうでしたね。
そして、そこまで主観的でいいのか、という問いもあるとおもいます。

そして、実際にこれを日本人同士でやったら、どこまでできるかどうか。
いっしょに回るメンバーなどにもよりそうですよね。

ちなみに、日本では視覚障害者さんと美術館を回るツアーも外郭団体がやったりしているのですが、それはある意味おもしろいです。見える見えないにかかわらず、言葉や気持ちのキャッチボールができます。


さて、好きな音楽、舞台、ドラマ、映画、文学は個人的に楽しめても、なぜかクラシック音楽や美術は敷居が高いといった感覚が 割合一般的にどこかあるとおもいます。 ですが、読書や、MoMAのアクセスプログラム同様、こわがらず、まずは自分なりに楽しんでみる、というのはアリだとおもいます。

たとえば、「歴史的背景や知識がないから、芥川龍之介はどう読めばいいんでしょうか? 読んだことないんですけど」 といわれたら、「まずは読んでみたら?」 と言ってしまいそうです。 知識はあとからでいいのです。

それよりも、自分なりにどう感じるか。

わからなかったら、わからないでいいと思います。

でもどこかに興味や関心のフックがあったら、しめたもの。
そうした面白さ。味わいかた。


そんなことを、MoMAがまだ古い建物時代に学んだのでした。
建築家・谷口吉生氏設計の、今の建物になる前に。
でもじつは、普遍的なこと。

 

こんな本が出てきました。なつかしい。


自分なりにたのしんでみる。

あなたなりの 感じ方。 楽しみ方。 

個性。 らしさ。 
生きる意義にまで じつは通じている、。


そう。好きに観て、感じていいのです。

ちょっと安心できたかたもいらっしゃるでしょうか
そうであったら、うれしいです。


今回、長文で ちょっとこむずかしい話でした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。


百瀬今日子でした(^-^)