光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.9.12

性格真逆な母娘に選手交代の季節がやってきた!? ~娘がおとなになりまして 其の二

娘(右)とわたしのキャリーバッグ。夢はいつかふたりで、メキシコのフリーダ・カーロ博物館へ行くこと。「わたしとは行きたくないかね」と言ったら、「いいや、そんなことない、旅は別物」との答えが。ホッ!

雨の中、娘が旅から帰ってきました。

大きな紙袋を持ち、見慣れないビニール合羽を着こんで、玄関に立つ彼女の顔は、少し疲れてはいますが、晴れやかでした。

どうだった?
勢い込んで訊こうとして、ハッとしました。

娘から、懐かしい匂いがしたからです。

小学校低学年の夏の終わり、プールから帰ってきたときと同じ匂いです。

麦わら帽子をかぶり、水色の細かいチェックのコットンローンのワンピースに白ソックス。

狭いマンションの玄関に立つ娘から、汗と入り混じって、鉱物のような、西瓜のような匂いがしました。

薄甘く、ちょっと苦っぽい、それはまさに娘らしい匂いでした。

額にはりついた細い髪の毛をかきあげ、日焼けした肌に噴き出た玉の汗を拭いてやると、にっこり笑って「喉かわいた」。

ごくごくと水を飲む、そのすべらかな喉の動きを見ながら、なんだろう、この生物は、と不思議な思いで娘を見つめました。

可愛いとか愛おしいとか、そんな言葉では到底表せない、この、わたしの胸をかき乱す生きものは。

ずっと遠い彼方から、そんな記憶がよみがえってきました。


レモンパイとフォンダンショコラ

「あー重かった! 空港でいっぱい買っちゃったよ」

わたしのおセンチな気持ちをよそに、娘は巨大クッキーを紙袋から取り出して、ホイ! と渡してくれました。

「どうだった、あちらのおうちは?」
「うん、すごくいいご両親だった。感じがよくって、仲がいいの。和気あいあい。うちと全然違ったよ」

出た! さっそく出ました「うちと違う」発言。

まだ五十代前半というイケメンのお父さんはギターが得意で、山下達郎はじめ、いろいろな曲を歌ってくれたそう。お母さんとは大学の同級生で、一家全員の趣味は映画だそう。

それは楽しそうなおうちだね。彼を見ればわかるけれど、とってもいい感じ。

「そーだよ、うちみたいに変じゃないんだよ。まともなの」

彼氏さんの育まれた環境は、娘にとって憧れるもののようでした。それはごく普通の、仲の良い家族の風景です。娘はいつも、そういう家庭を望んでいました。

「まったくさあ、変わり者の母親に育てられて、あたしゃこんなになっちゃって、ほんとイヤ。もっと普通がいいのよね、彼のおうちみたいな」

娘の口癖は「淡々と暮らしたい」です。

日々が淡々と流れていく暮らしが理想なのに、彼女の人生は、ジェットコースター並みの変化に富むものでした。

食べ物も、さっぱりしたレモンパイが好物。濃厚なチョコレートソースがドロリと流れ落ちるフォンダンショコラ好きのわたしと合うわけがありません。


うちには一家団欒がない!?

娘がわたしを嫌う理由は、わたしにも責任があります。家族と感覚を共有できないからです。

たとえば3人でソファに座ってテレビドラマを観るとします。

笑いの沸点が異様に低い家人がケラケラ笑うのを、チッと思いながら横を見ると、片手にスマホを貼り付けた娘が、無表情で画面を凝視、苦虫を嚙みつぶした顔で脚を組み直すわたし、というのが我が家の団欒図です。

これ、団欒とは言えないのではないでしょうか。

わたしは本当に団欒が苦手で、自分の思うこと、感じることを家族と共有できないのです。

もう、業としかいいようがありません。他にも、ひととのコミュニケーションができない、電話も苦手のひきこもり、ならば家庭的なことはどうかと問われれば、それもあまり得意ではありません。

そして、子どもがもっとも母親を必要とする小学校時代に仕事の忙しさがピークであったため、決定的にコミュニケーションの時間が足りませんでした。

これでは、家庭的な母親をことのほか求める娘が、わたしを好きになれないというのも当たり前です。

けれどこの日、自分の望む家庭を、娘はパートナーと作ることができるのだ、と気がつきました。


寂しさの正体

祝福すべきことなのに、一抹の寂しさを覚えるのは、娘の求めるような家庭を作ってやることができなかったことに、取り返しのつかない後悔があるからです。

新しい可能性を創出するであろう結婚は、古びた人間に容赦なくダメ出ししてきます。

それが目に見える形ではっきりしたいま、用済みのハンコを押されたような気持ちになるのです。

留学中と日本の大学時代、離れて暮らしていたのに寂しいと感じなかったのも、離れていればこそ、わたしも必死で娘と生きていた、無我夢中な現役だったからでしょう。

仕事の場では、まだまだ老いを感じることはありませんが、暮らしの中では、以前よりずっと余裕が生まれ、その余裕こそが、娘とわたしの選手交代を告げています。

「淡々と平凡に暮らしたい」と言う娘を、ある意味、見上げるような気持ちで見つめてきました。

まさに自分自身をよく知っている。ひとと自分を比べない。できないことも多いけれど、ひとたびこうと決めれば何があろうとやり通す意志の強さ…。

これらすべて、わたしが教えたり躾たものではありません。わたしと真反対な、娘の生まれ持った資質、わたしにとって憧れる資質です。

親はなくても子は育つ?
老いては子に従い、
老兵は去りゆくのみ?

いま、そんな言葉がにわかにリアルに迫ってきます。

「明るい団欒のある家庭をつくれるといいね」

白い恋人たちをボリボリ齧る娘にそう言うと「うん、そうだね。でもなー、何事もそう簡単に思ったようには行かんでしょ。貯金もしなくちゃなんないし…」

いつの間にか、ほんの少し翳りを帯びてきた目元を伏せながら、でもまだ子どもの面影が残る声で答える娘に、なぜかホッとし、一週間の緊張が肩から落ちていきました。
 

【編集部からのお知らせ】
光野桃さんの年に一度の朗読ライブが9月24日(日)に開催されます!

編集部の川良です。いつも『美の眼、日々の眼』をご愛読頂き、またたくさんコメントをお寄せ頂きまして、ありがとうございます。先週に引き続き、光野さんにお会いできるスペシャルな会のお知らせです。

光野桃さんが2008年から2016年まで続けてきたイベント「桃の庭」。そこから引き継いだ朗読ライブが9月24日(日)に開催されることになりました。今年は、ギタリストの諏訪光風さんのソロライブで朗読のために描きおろしたエッセイ「女神たち」を読まれるそうです。

光野さんにお会いしたい方、直接お話しになりたい方はとても貴重な機会ですので、ぜひふるってご応募ください。

光野さんのコメント>>
「眼で読む文は頭に入り、耳で聴く文は心に入る、と言われています。人間の声に最も近い周波数のギターの音色と、静かな朗読に、夏の疲れを癒していただけたら、と思っています。

いつものイベントの大きな会場とは違い、ライブハウスではお客様と近くでお話しできるのが楽しみです。トークもたっぷり。ぜひいらしてくださいね」

諏訪光風ギターソロライブ~旅の記憶
★日時 9月24日(日) 13時開場 13時30分開演
★会場 カフェ エクレルシ
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅下車徒歩2分
★料金 3500円(ワンドリンクオーダー)
★お申し込み、お問い合わせ koufuuyoyaku@yahoo.co.jp