人気スタイリストのデビューから、大注目ブランド立ち上げまでのストーリー

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7月から、新しくミモレの「スタイリスト連載」に加わった斉藤くみさん。第二子を昨年の春に出産してから「毎日大変!」と言いながらも、いつだって明るくて、みんなに愛されるムードメーカー。

長きにわたってスタイリストとして第一線を走りながら、実は意外にも、最初は自ら志願した仕事ではなかったとか。そんな斉藤さんのおしゃれにまつわるヒストリーを伺ってきました。

斉藤くみ 1977年生まれ、身長166センチ。モードからリアルクローズまでトレンドをおさえたスタイリング提案に定評がある。ファッション誌を中心に広告、カタログ、女優、アーティストなど幅広い分野から厚い信頼を寄せられている。インスタグラム@stylist_kumisaito


私の人生のおしゃれを語る上で、母の存在はやっぱり大きいと思います。とてもセンスのいい人で、セールなどで可愛い服を見つけるのが上手で。幼いながらサンローランで買ってくれた姉とお揃いのマルチボーダーのワンピースを、とても気に入って着ていたことを今でもよく覚えています。

幼少期からバレエを習っていたので、お稽古が終わったら母が洋服を買ってくれることもあって。私としては、毎週バレエを頑張ればすごく可愛い服を着せてもらえる、そして母を独占できる!っていう3点セットみたいに思ってましたね(笑)。


高校の時に働いていたセレクトショップも、今振り返るとすごくいい出会いだったなと思います。その店は本当にセンスのいい、素敵なご夫婦が経営していて、ハイブランドから旬なドメスティックのブランド、レコードや海外のファッション誌を取り扱っていました。

中学生の頃からちょくちょく遊びに行っては、「1日でいいから働いてみたいな」と思っていたんです。そうしたら「高校生になったら週末だけ手伝いに来てもいいよ」と言ってくださって、3年間遊びに行くような感じで働かせてもらいました。海外へ頻繁に買い付けに行っていたような人たちなので、ファッションだけでなく音楽や海外のカルチャーまで、すべてを教えてもらえるような環境でした。

 

 

大切にするのは人との信頼関係。
声をかけてくれたことは
どんなことでもやりたい


スタイリストという職業は知っていましたが、最初から目指していたわけではなく、今思うと、人と人との縁によって導かれたように感じています。学生時代、マガジンハウスの編集部でアルバイトをしていたんですが、そのときにのちの師匠となる宮島尊弘さんのお手伝いに行く機会を与えてもらって、1日だけのつもりが、「じゃ、今日からうちに来て」って(笑)。


一年間のアシスタント時代を経て、師匠から「俺の1年は3年分だから」と言われ、強制的に(笑)独立することになりました。そんな無茶振りをした師匠なんですが、独立してすぐにお仕事を紹介してくれたり、とても優しくて。それから今でもずっと親しくさせていただいてます。特に娘とは大の仲良しで、毎年お誕生日にはプレゼントを頂いたり、親子で可愛がってもらっています。私の人生において師匠は、とても尊敬する大切な人で心から感謝しています。

独立した当時はまだ20代で若かったということもあって、アルバイトでお世話になったマガジンハウスの編集者をはじめ、さまざまな人が声をかけてくれて。洋服のスタイリングからカルチャーページのもの集め、ときにはアートディレクターに言われていきなり服を作ってみたり…。いつも周りの人が「くみちゃん、これやってみない?」って誘ってくれることがうれしくて。どんな困難なことも「面白そう!」と思う気持ちを大切にして取り組んでいくうちに、どんどん人が人を引き合わせてくれるようになりました。

大切にしているのは、編集者をはじめとするスタッフの信頼関係です。その人と仕事に応えたい!と思っているから、仕事の内容や大きいか小さいかは全く関係ないんです。それは今も変わりませんね。

私の場合、自分のテイストを一方的に表現するよりも雑誌や企画、クライアントからの課題や条件が大きければ大きいほど、クリアしていくことにやりがいを感じるんです。可能性を最大限に広げた中に自分のテイストを絡めていくことにこだわりを持って、期待を超えるものを作り出していくことに喜びを感じています。

20代は休みなく働いて、お金が貯まれば長期の海外旅行へ行ってガス抜き。このスタイルは今も変わらず、子供がいても年に2〜3回は旅行にいき、友人家族とは頻繁にキャンプへ行っています。

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