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『東京パパ友ラブストーリー』#4【期間限定公開】

専業主夫として育児や家事をこなす明人とファンドマネージメント会社CEOの豪。保育園の送迎で出会った二人は恋に落ちる……?
1月22日に発売になる禁断の恋を描く新時代の恋愛小説『東京パパ友ラブストーリー』を刊行に先駆けて無料掲載いたします!
1月22日まで(全15回)の掲載(1月23日11:59には全文非公開)となります。期間限定の先行無料公開! ぜひお見逃しなく。

『東京パパ友ラブストーリー』樋口毅宏(講談社)2019年1月22日刊行予定



彼の顔がちらつく毎日。なぜ? 「他人サゲ」をしない奴って久しぶりだから?

 気が付くと社には豪ひとりだった。椅子にもたれて白い天井を見上げる。ゆっくりと慎重に、長い息を吐く。矢のように過ぎる毎日を振り返る暇もない。いつだって彼の前にあるのは消費されるきょうと予想すべき近い未来しかなかった。それでもこの数日間、豪の頭にはいつだってちらつく顔があった。
 鐘山明人だ。
 あの酒の席以降、一度もLINEはない。スマホが鳴るたび、期待している自分がいた。亜梨を保育園に連れて行っても顔を合わせることはなかった。
 変わった男だった。豪は仕事柄、様々なタイプの男に会うと思っていたが、今にして思えば一種類でしかない。学歴、家柄、経歴などで、自分を大きく見せようとする輩ばかりだ。しかも金の話しかしない。自信満々にきらびやかな笑顔を見せるものほど虚業家だった。多くの人はたやすく騙される。鏡の前で人を油断させる練習に余念がない者たち。やれ、「〇〇で連日、億の金を動かしてきた」、「△△とはむかしからの友達で」、「バックに××が付いている」。多少の肩書、経歴詐称は当たり前。「アメリカの大学でMBAを修得した」というのでよくよく訊いてみれば、豪と同じ学校だった。「何期生ですか?」と訊ねたら、「いつだったかなあ。ずいぶんむかしのことだから」と返された。「僕も少し知っているんですよ。ランドリエ教授の講義を受けたことがあって」と架空の名前をでっち上げたところ、「懐かしいねえ」と、男は異様に白い歯を剝き出しにした。
 リア充パーティーと人脈アリバイのフェイスブックにはあきあきだった。
 鐘山明人は浮ついたハイソ・トークとは無縁だった。男の酒席にありがちな、ヤッた女の数を競ったりする下ネタもなかった。他人サゲ、自分のことを水増ししない男に会ったのはいつ以来か。正面に見据えた、くちびるの艶が目の中に浮かぶ。
 豪は時計を見る。少し考えてからパソコンをシャットダウンした。

 四谷の居酒屋「六甲」の縄のれんを潜ると、前回と同じ奥のテーブルで、やはり前と同じように赤ら顔の髭面が鎮座していた。同じ店で初めて会ってから一週間が経過していた。豪は混んだ店内をかき分けて、男の正面に腰を下ろした。
 明人が当たり前のように言う。
「待ってたよ」
 店員が豪におしぼりを差し出す。
「中生」
「おや」
 明人はにやにやしながら注文する。
「俺も」
 店員がビールジョッキを持ってくるまで、豪はおしぼりで顔を拭きながら目を合わせないようにした。平静さを装いたかった。
 ふたりの前にビールがふたつ並ぶ。豪がジョッキを掲げる。明人もそれに応える。
「乾杯」
 明人は快活に喉を潤す。対照的に豪は表情を崩さない。ビールを一口やると、真一文字にくちびるを結んだままジョッキをテーブルに置いた。
 店内は賑やかで、はしゃぎ声も泣き言もここでは均一だった。黙っているのは自分たちだけだった。
 訊くなら今しかないと豪は思った。
 だけど何と訊ねたらいいのかわからなかった。
「我慢できなかったんだよ」
 明人はにこやかに話す。あの日と同じように。
 笑うと細く、小さくなる目を、豪は見ていた。なすすべもないような気がした。この感情に名前を付けるとしたら、たったひとつしかない。でもそれを認めるのが怖かった。
「ゲロ、吐きそうで。これを何で堰き止めようか。で、目の前におたくのくちびるがあったんで」
「あったんで」
「つい」
「つい? だから……したと?」
「我慢できなかったんだって」
「おい!」
 つい声を荒らげたが、まわりは誰も気にしていない。明人は歯茎を剝き出しにする。これは何だ。照れ笑いでごまかそうとしているのか。豪は声を潜める。
「あなたがしたことはきょうび犯罪だぞ。暴行罪だ。わかってるのか」
 豪が睨み付けても、明人はにこにこと変わらない。
 豪の脳裏にあの夜のことが思い出される。慌てて駐車場に戻り、泥酔した明人を路上から担ぎ上げ、はらはらしながら車を走らせた。迷惑をかけられているはずが楽しかった。明人のマンションの前でくちびるが重なったとき、いつ人に見られるかわからないのに、うっかり目を閉じて、明人の広い背中に手を回しそうになった。
 なのに意に反して、はねのけていた。くちびるを拭いながら、「ヘンタイか〖縦中横:!?〗 あたまがおかしいのか〖縦中横:!?〗」と罵倒した。その後、明人はちょっと笑うと、黙って踵を返し、マンションの玄関の奥に消えていった。
 豪はしばらくの間、立ち尽くした。戻ってこないか、待っていた。
 あれはヨッパライの余興だったのか。
 ちょっと間に耐えかねて、明人はビールを口に含む。
「怒った顔も可愛いね」
 明人は余裕しゃくしゃくだ。豪はムキになるのがバカらしくなってきた。
 話を変えることにした。
「鐘山さん」
「明人でいいよ」
「明人さん、建築家なんですね」
「調べたんだ」
「はい」

 鐘山 明人(かねやま あきひと、1966年〈昭和41年〉3月30日)は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第〇〇〇〇〇号)。日本大学大学院生産工学研究科建築工学専攻博士課程。

 ウィキペディアまであった。そこにあった略歴や関連項目は短いものだったが、豪は繰り返し読んだ。グーグルで検索すると、わりとメディアに登場していることがわかった。インタビューや、その業界では名の知れている人たちと対談していた。さっぱりした髪型で、髭もない。話していることはまともで、真面目な話をするが、サービス精神旺盛のため、常にひとを笑わせようとしている。行間から熱や息吹が伝わってきた。一度しか会ったことがない自分は知らない、明人の建築家としての顔だった。
「狭小空間〝愛は大きい〟を提唱したカリスマ建築家」
 明人は小さく手を振る。
「ずっとむかしの話だ」
 建坪五十平方メートルに満たない住宅を最大限に活用した家づくり。仕切りを無くして、視覚的な広がりに満ちた室内。豪は建築には明るくないが、どれもシンプルなだけでなく、これ見よがしではない遊び心に満ちていた。
「俺のデザインは、発注先から要望だけでなく、好きな音楽や映画の話も聞く。それを生かした設計を心がけている」
「理想は、風と光の住み家」
「建築こそいちばんの芸術。代理店を通した建物には興味がない。あれはただのハリボテだ」
 若さと気負いにまかせた発言。きりりとした目元。自信と野心に満ちた表情がまぶしかった。
 目の前にいる気だるげなアラフィフに、かろうじて面影が残っている。
「個人情報保護法とか言っても、いまどきはケータイで簡単にわかっちゃうね」
「どうして」
 豪の声に、明人は食べ散らかした小鉢から視線を上げる。
「前ここで飲んだとき、自分の仕事のことを言おうとしなかったんですか」
 明人はジョッキの底を見つめる。
「現役じゃないからだよ」
 一瞬、明人の笑みが陰ったように見えた。
「結婚して、子育てをしながら建築なんてできない。発注を受けたら、一日二十四時間、建物について考えなければいけない。とてもじゃないけどいまの環境じゃ無理。保育園に迎えに行った後、考えることにフタをして、意識を中断させるなんてできっこない。子どもが大きくなるまで待つしかない。いまは光を保育園に預けている間、むかしの仲間から回してもらった細かい仕事をやっているけどね」
 明人の笑みに憂いが沈む。豪はじっと、明人の白い首を見つめていた。
「奥様と、育児や家事は公平に分配しています?」
「言っただろう。美砂のほうが俺よりずっと立派な仕事をしている。いまの俺のいちばんの仕事は育児。二番目が家事。三番目が妻のサポート。妻は俺と一緒に住むようになってから一度も洗濯や風呂掃除をしたことがない。いいんだって。それは俺が望んだことなんだから。
 美砂は三十九歳で光を産んでからというもの、体力が極端に落ちて頭も回らなくて、些細なことでキレるようになった。たまの休みの日は一日中寝ていてほしい。だけど月に一回ぐらいは光を預かってくれて、外で飲んできてもいいよと言ってくれる。きょうもそう。ありがたいよ」
「近所に親御さんは?」
「俺のほうはとっくに死んでいる。美砂は母親がいるが遠い」
「シッターさんを呼んで、保育園の後も光くんを預けたらいかがですか」
 豪は苦い顔をする。
「あのね、気軽に言ってくれるけど、シッターを呼んだらいくら掛かるか知ってるの? 四時間で一万円だよ。議員とはいえ、妻は金持ちじゃない。俺もそうだ。そんな余裕はない」
 豪は思い出す。まなみはよく、「お友達とゆっくりお茶がしたいからシッターさんを呼んだ」などと言っているが、そんなに高額だとは知らなかった。
「ま、言い訳だよね。みんな自分の時間をやりくりして頑張っている。子育てが嫌なら、なんで結婚したんだって話だ」
「なんで結婚したんですか」
 明人は頰杖をついて、思いに耽る顔になる。いちいち様になっていると豪は思った。
「俺と美砂は出会ってまだ四年ぐらいで。最初のうちは羊の皮を被っていた。狼の耳と牙がはみ出していることに気付かないこっちのほうが悪いんだ」
「そもそもどうやって知り合ったのですか」
 自分ばかり訊いていると豪は思った。
「ツイ婚」
「ツイ婚?」
「当時俺はツイッターをやっていて、自分の名前をエゴサーチしてみた。彼女が俺が設計した建物について呟いていたのでDMを送った。そこからだよ。間違いの始まりは」
 豪がつられて笑う。
「それまでの俺は仕事第一で、女性とは適当に遊んでいた。で、美砂と会って、付き合い始めてわりとすぐにあっちから〝結婚したい。あなたの子を産みたい〟って言ってきて。美砂のことは、名前ぐらいは知っていた。それまで俺が付き合ったことがないタイプで、こんな太陽のような人と一緒に生活するのってどんな感じだろうって思った。それで……うーん、すまん。ダラダラと」
「構わないですよ。自分の奥さんについて話すのって、何を言っても惚気と取られかねないから難しいし──」
 明人が豪の喋りを遮る。
「トロフィーワイフを欲していたのかもしれないなあ。建築の世界でちょっと有名になったから、結婚するならモデルや女優とか……でもやっぱりそっちは嫌かな」
 良かった。あなたはそんなバカじゃないと、豪は言葉を吞み込む。
「だけど思わない? 誰と結婚したって、不平不満が無くなるわけじゃない。幸せでハイな頃は最初のうちだけで、あとは否が応でもうすのろな日常と付き合っていかなければならない」
 豪が明人の目を見据える。
「それが人生でしょう」
 明人はジョッキのふちからくちびるを離す。
「そうだな」
 うっすらと笑みが戻る。それが豪には嬉しかった。
「平凡な日常を送る中で、ささやかな楽しみは、いつもとちょっと違うことをやること」
「たとえば?」
「いつもと違う道を通ったり」
「通ったり」
「いつもの定食屋で、いつもと違うメニューを頼んだり」
「頼んだり」
「いつもと違う人と会ったり」
「会ったり」
「会う以上のことをしたり」
「会う以上のこと?」
「そう」
 店員が注文を取りに来た。明人がおかわりを頼もうとするのを豪が制する。
「明人さん、ここを出て、もう一軒行きませんか」
 豪の不意の申し出に、明人はぽかんとしている。豪にとっては何気に勇気を振り絞っての誘いだった。
「僕の知っている店に。タクシーで行きましょう」
「ちょっと待って。妻にメールして聞いてみないと」
 明人はスマホをチェックする。時間はまだ二十時前だ。
「返事がない。どうしたかな。光をめずらしく風呂に入れてくれているのか。それとも寝落ちしちゃったのか」
 豪はもどかしい思いを抱えた。
 ──こないだは自分からキスしてきたくせに、どういうことだ。怖じ気づいたのか?
 それとも僕のことがそんなに好きじゃない?
 その火を飛び越えてこい──強く念じてみる。
 明人がスマホから顔を上げる。
「豪さん」
「はい」
「怖い顔してるよ」
 豪は口元に笑みを取り繕おうとする。
 とりあえず会計を済ませて表に出た。豪の行動は素早かった。手を挙げてタクシーをつかまえる。豪は明人に言う。
「いつもと違うことをしよう」
 タクシーに乗り込む。明人も続く。豪が運転手に告げる。
「帝国ホテルまで」
 明人の目が驚きを隠せない。車が四谷から日比谷方面へとひた走る。豪はスマホをいじっている。明人は窓の外の夜を眺める。ふたりとも黙っていた。
 口火を切ったのは豪だった。明人のほうに向きを直した。
「きょうはお疲れ様でした」
 明人は豪の目を見て、瞬時に察知する。明人も豪のほうに姿勢を向ける。
「いえ、こちらこそ」
「おかげさまで契約もうまくいきそうです」
「そうですか。それは良かった」
 互いに鞄も持っていない。豪はジャケットだがネクタイをしていない。明人は普段着で、足元はサンダルだ。運転手はどう思っているだろう。
「まったく先方にも困ったもんです」
「おっしゃる通りです」
「あんな言い分が通用すると思ったら大間違いです」
「同感です。ところで気付きました?」
 豪が訊ねる。
「何がです?」
「あちら、重大な秘密を隠匿していた」
「…………」
「わかりませんでしたか?」
「さっぱり」
 明人は豪に顔を近づける。
「カツラでしたよ」
「……それは気付かなかった!」
 ふたりは大笑いする。が、運転手が咳払いする。豪と明人は途端に笑うのをやめた。ゆっくりと視線を動かすと、運転手は夜目にもわかるほどのカツラだった。
 それに気づいて、豪と明人は互いに下を向いて苦笑を堪えた。
 タクシーが帝国ホテルの玄関に着く。
 豪だけが下りた。
「ここで失礼します」
「きょうはありがとうございました」
「またメールします」
「はい、こちらからもメールします」
「また」
「はい」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 タクシーが帝国ホテルを出る。運転手が明人に行く先を訪ねる。
「ここからいちばん近い駅で」
 日比谷駅に着いた。明人が料金を払って降りる間際、運転手はこう言い残した。
「バレバレだよ」
 タクシーは夜の街に消えていった。明人は舌打ちする。なんだ、だったらさっさとふたりでホテルに入ればよかった。
 明人はスマホを見る。豪からLINEで部屋番号が送られてきていた。一度尻ポケットに仕舞った後、手元に戻して音を切ると、再び尻ポケットに入れて、目的地へと歩を進めた。

 豪はビジネスのダブルベッドに腰かけていた。ひとりで、部屋で待っていた。窓の外はすっかり夜の帳が下りている。
 彼は来るだろうか。LINEは既読になったが返信はない。
 何か言い訳を見つけて、奥さんと子どもの待つ家へ帰ってしまっただろうか?
 怖れをなしたか? それとも僕のことはそれほどでもないのか?
 なんで自分はこんなに積極的なんだろう? どうかしたのだろうか?
 この高揚感や性急さは何だ。いつのこと以来か、思い出せない。
 なんでよりにもよって自分より二十も上のおじさんを? 説明がつかない。
 酔っているからではない。ただ彼がほしい。
 いつもあっという間に時間が過ぎるのに、いまだけは時間がやたらと長く感じられた。
 実際は十五分ぐらいしか経っていなかったが、もう来ないんじゃないかとあきらめかけていたところにチャイムが鳴った。
 豪はドアまで駆け寄る。開けると明人が立っていた。
 ふたりは照れ笑いが止まらない。
 明人が室内に入る。ドアが閉まったと同時に、どちらからともなく抱き合った。固く、抱き合った。それから見つめあい、キスをした。
 今度は不意打ちではない。酔った勢いでもおふざけでもない。真剣な、後戻りができないキスだった。
 豪は訊いた。
「後悔しない?」
 明人も同じ気持ちだった。
「するわけがない」
 くちびるを求め合った。それからどちらからともなくベッドに倒れ込んだ。

樋口 毅宏

1971年東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務ののち、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。2011年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、2012年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。ほかの著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『甘い復讐』『太陽がいっぱい』などがある。

※本記事は2019年1月22日刊行予定の『東京パパ友ラブストーリー』(樋口毅宏著)を15回掲載でお届けする試し読みページです。次回(第五回)更新は1月12日(土)です。引き続きお楽しみください。