自身の分身?とも思える「海馬五郎」を主人公に、その結婚やセックスをとことん描いた松尾スズキさんの最新小説『108』松尾さんのインタビューはこちら>>
その出版を記念して、著者の松尾さんと、お笑い芸人の大久保佳代子さんのトークショーが開催されました。以前から大久保さんのファンで、「死ぬまでに一度会いたかった」という松尾さんと、松尾さんのメルマガの長年の読者にもかかわらず、「死ぬまで会わない方がいいんじゃないか」と思っていたという大久保さん。独特の視点をもったお二人が、小説『108』について、すでに撮影を終えた映画の裏話、さらには大久保さんの悩み相談まで、赤裸々にさらけ出す煩悩とは!?

 

松尾スズキ 1962年、福岡県生まれ。1988年、舞台『絶妙な関係』で「大人計画」を旗揚げ。以降、主宰として数多くの作品の作・演出をつとめる。1997年『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』で第41回岸田國士戯曲賞、2001年『キレイ-神様と待ち合わせした女-』で第38回ゴールデン・アロー賞演劇賞を受賞した。2004年『恋の門』で映画監督デビューし、第61回ヴェネツィア国際映画祭に出品、2008年『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。小説では2006年『クワイエットルームにようこそ』、2010年『老人賭博』、2018年『もう「はい」としか言えない』の三作で芥川賞にノミネートされている。本作『108』は2019年秋、映画公開が決定している。
大久保佳代子 1971年愛知県生まれ。1992年漫才コンビ「オアシズ」としてデビュー。その後はバラエティ番組にとどまらず、映画、舞台、ラジオと幅広い活躍を続け、才気溢れる話術で老若男女から絶大な支持を得ている。

 


大久保佳代子さん(以下、大久保):松尾さんの有料メルマガ、月550円を取ってるんですよ。あれ、今週少ないなーと言う時もありますが、大好きで、何年も。その中で、いまどの芸人さんが面白いかという内容で、「大久保佳代子さんはいいよね」って書かれていたのを見つけたことがあって。覚えてます?

松尾スズキさん(以下、松尾):覚えています。大久保さんとナイツとサンドウィッチマンは、いつまでも見ていられるみたいな。

大久保:私が一方的に思っていた相手に、急に気持ちが通じた!という感じでびっくりして。そう思われているなら、死ぬまで直接会わないほうがいいかと思っていたんです。

松尾:オアシズの人って面倒臭いところありますよねえ。光浦さんとは先に知り合いになってたんですけれど、稽古場の帰りに偶然会って、「光浦さんですよね」って声をかけたのに、「はい」って答えただけで、スーッと去って行っちゃったんですよ。

大久保:あの人は本当に想像以上に人見知りで、人に対する距離感を重んじる人なんです。でも松尾さんも、メルマガや作品を読んでいると、そういうタイプのように思えますが。そう簡単に人に近づかないというか。

松尾:そうですけれど、同業者なんだし大人なんだし、もう2~3言あっても。新宿駅の近くで会った時も、「光浦さん?」「あああ」で通り過ぎて行きましたから。

大久保:ちょっと野良犬みたいなところがあるんで、一回手なずけたらすごい懐に入ってきますよ。


自分が中心じゃないと、全然楽しくない


大久保:『108』を読みましたが、くだらなくて面白いですよね。ドロドロした嫉妬心から、ノルマを決めてあらゆる女とセックスしてゆく男の話という。様々な変なテクニックを持った女性がいて、ばかばかしいのを通り越してファンタジーを読んでいるみたいで。生々しくないところがいいですよね。

松尾:あんまり生々しいと笑えなくなっちゃうので。

大久保:女性も男性に夢を与えるために、セックスにおける一芸を持っていた方がいいのかな……なんて思ってないですけれど(笑)。松尾さんの本って、そういうポイントポイントが面白いし、「わかる!」って共感できるところが多いんですよね。

松尾:どこかで僕の『東京の夫婦』も取り上げて下さってましたね。

大久保:『東京の夫婦』ね、読んでますよ。でも最初に好きになったのはエッセイですね。最近読んで「わかるわかる」って思ったのは、飲み会で自分が中心でいたいっていう。私もそういうところがあって、大人だから一応笑顔でうなずきながら聞いているんだけど、全然楽しくなかったりするから、ああ、そう思っていいんだ、って。

松尾:たまに飲み会に子供連れてくる人とか、許せないんですよ。その子供が中心の会にしかならないから。

大久保:子供を相手にしない人って、圧倒的に悪人のイメージがあるじゃないですか。私は子供が嫌いではないし、可愛いとは思うけど、そこまでじゃねえよと。こっちで大人の会話したいのに、子供が「わー」となると途端に、みんな「どちたのどちたの~?」ってなって会話が途切れる。負けちゃいけないと思うのでしゃべり続けるんですよ私は。

松尾:他人の子どもから得るものなんてないし、時間を無駄にしたくないんですよね。

大久保:でもそういうのって、余裕がない人っぽく見られないですか。

 

松尾:僕はもうトシなんで、あと何回飲みに行けるかって考えちゃうんですよ。ずーっとネタの話、何が旬だとか、延々とやる寿司屋の大将とかもイヤですねえ。一緒にいる、自分の好きな人と話したいのに、寿司屋に気を使いながらの1日みたいになっちゃう。

大久保:「いいネタありますよ」って言うなら、まず値段を言えよとか思うんですが、最初に「苦手なものは」「いいえ」とやりとりした手前、断れない。それでお会計するとすごい金額になってる。

松尾:特にいい寿司屋は同調圧力があるんですよ、大将のいいなりの方が粋、みたいな……って、こういう話しにきたんじゃない(笑)。


映画の見どころは、中年男の面白い裸


大久保:これ、もう映画のほうは撮り終えてるんですよね。どういう画になっているのか気になります。

松尾:フフフ、かなり頑張りましたよ。ローションの会社とコンドームの会社とは手を組んで。

大久保:私は大丈夫ですけれど、一般的な女性が見に行っても大丈夫ですか?

松尾:僕は大丈夫だと思うんですけどね。音楽やSEとか入ってないバージョンの関係者試写も、大丈夫そうだったんで。不安は僕の身体が多めに出ていることです。とりあえずダイエットはしましたけど。

大久保:でも中年男の身体って面白くないですか。

松尾:その面白い身体の面白さはちゃんと残しつつ。ただセックスの場面は演技しながら演出するのが凄い大変でしたね。本番寸前まで代役が演技して、カメラ位置とか動きとか決めて、その後に自分が入って演技して、戻ってモニターで演技をチェックして。

大久保:現場ではほぼ裸ですか。

 

松尾:そういう場面を長回しとかでは撮らないので、1カットごとに、撮ってはガウンを着て、モニターをチェックして、脱いでまた演技して。やってるうちに、モニターの前に行くだけなのに、なんでわざわざガウン?これ必要?って気になってくる(笑)

大久保:監督モードになるのに一枚必要(笑)。そこはライン引くんだ。

松尾:急いで脱ぐからガウンが裏返しになってて、着る時もすぐに着られないんですよ。でも素っ裸で演技して、素っ裸で戻ってチェックするのは、さすがにどうかなと。そこは唯一守らなきゃいけないところというか。


なんでこの人?という浮気相手には、倍イラっとする


大久保:ちなみに海馬五郎には、松尾さんが何割くらい入ってるんですか。

松尾:よく「これ松尾さんですか?」って聞かれるんですが、そんなにセックスしまくってないし。職業が作家なのは、自分と同じ仕事だと資料を調べなくて済むじゃないですか。でも内面に関しては、微妙に違いますね。女性に対する嫉妬心や猜疑心は、まあ3割くらいは入っていますが、ここまでではない(笑)。

大久保:男の人がここまで嫉妬に狂うのは、あんまり分からないなっていう。

松尾:僕の場合、交際中の女性が知らぬ間に別の男性と付き合ってたっていう経験が2~3度あるんですよ。海馬は、その時に思った「こんなふうに復讐出来たら」を実現している男なんですよね。まあ相手に好きな人ができたらしょうがないんですよね。文句の言いようがないし、「俺のほうを好きになれ!」って言っても無理だから。それはそうなんだけど、気持ち的に収まらない部分っていうのもあるわけで。

大久保:それは若干分かるというか。私も若い頃に浮気されたことがあって。私はねちっこい性格なんで、だったら浮気し返してやろうと。ある時、南阿佐ヶ谷で明け方まで飲んで、証明写真のボックスの中で寝てたんですよ。そうしたらそこに小汚いおじさんが入ってきて、「お姉ちゃんどこか行こうよ」と。「浮気し返すならここだ!」と思ったんですが、何もこのおじさんに甘んじるほどのことでもないなと。

松尾:踏みとどまってよかった(笑)でも浮気し返すのはちょっとはわかるよね。

大久保:奥さんの浮気相手がコンテンポラリーダンサーって言うのも絶妙ですよね。

松尾:実は小説より前に書いたのは映画のシナリオで、その一稿では浮気相手はポップシンガーだったんですが、それだと当たり前すぎるなと。自分の奥さんがどっちに寝取られたらイヤかって、やっぱりコンテンポラリーダンサーだよね。よくわかんない世界っていうのもあるし、なんかイラっと来る。

大久保:私も自分の彼氏の浮気相手だとしてもイヤですね。動きも想像つくし、自分の知らない感覚でやってる人が相手っていうのは、理解できないだけに。

松尾:売れないアイドルとかならまだいい。

大久保:みたことがないんで、自分の理解が追い付かない。なんで惹かれたんだろうなって思っちゃうかなと。

松尾:僕はコンテンポラリーダンスも観るんですけれど、バレエなら伝統的なものが好きとか、ヒップホップだと流行りとかあるけど、コンテンポラリーダンスって、なんでそこ?っていうのがあるんですよね。そこにはなんというか、自己表現せずにいられない性(さが)というか、「自己表現をしても恥ずかしくない人たち」の究極というか。

大久保:なるほど……えっと、どういう意味ですか(笑)

松尾:僕らだと表現の「器」があるじゃないですか。「笑い」とか「舞台」とか、コンテンポラリーダンスってそれがないんですよ。いまここで動き始めた瞬間に、それがダンス。いつでもどこでも自己表現みたいな。僕は本物のダンサーにはリスペクトはあるんですよ。でも相当な技術がないと人に見せられるものはできない。

大久保:でもどの世界でも自己表現している人って、突き抜けたところでやってる人はすごいけど、中途半端な人たちはダサかったりもしますからね。

松尾:中途半端かそうでないかは、カッコつけているのが見えるかどうかっていうところだと思うんですよ。僕が大久保さんをリスペクトしているのはそこ。カッコつけないんですよね。

大久保:カッコつけるっていうのはなんですか。よく思われたい?モテたい?面白く思われたい?

松尾:お笑いとはこういうものだ!っていう、力みが一切見えないですよね。あるんでしょうけどね。

 
  • 1
  • 2