水泳の池江璃花子選手が白血病であることを公表しました。池江選手には、多くの声援が寄せられていますが、いつものことながら、心ない発言も相次いでいます。

桜田義孝五輪担当相は池江選手の白血病公表を受けて、「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、ガッカリしている」「1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」と、にわかには信じられない発言を行いました。
発言内容からは、池江氏本人を思う気持ちはまったく感じられず、むしろ池江氏が病気になったことで、周囲が迷惑していると言わんばかりです。一部から、発言はメディアによって切り取られたものだという批判も出ているようですが、発言内容は事実であり、全体を通しても不適切であることに変わりはありません。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

桜田氏は以前、福島第1原発事故で発生した指定廃棄物について「原発事故で人の住めなくなった福島の東京電力の施設に置けばいい」と発言したことがあり、人の気持ちというものに対して、致命的に無理解な人物である可能性が高いと思われます。
しかしながらこの問題は、桜田氏という、ある種、特殊な思考回路を持った個人の話なのかというとそうではないでしょう。程度の違いこそあれ、似たような考え方を持つ人は決して少数派ではありません。

非常に悲しいことですが、病気を治療中の社員に対して「見苦しいので人前で薬を飲むな」と上司から強要されたり、がんに罹患すると、他の社員の士気が下がるので退職を迫られるなどというのは、日本社会ではごく日常的な光景です。
こうした「ムラ社会」的な風潮や価値観は、工業化以前の貧しい時代において、集団が生存するために作り出されたものと言われています。つまり資源が乏しい社会では、全員がギリギリの状態で労働しないと生存できないため、病気などにかかって労働から離脱する人は、周囲から責められるという図式になります。
工業化以前ならともかく、これだけ社会が豊かになったにもかかわらず、どういうわけか、日本ではこうした風潮がなくなりません。経済学の世界でも、前近代的な風潮が経済成長に悪影響を及ぼすことは分かっていますが、内向きな社会を形成する国とそうでない国になぜ分離してしまうのかまでは分析できていないのが実状です。

心ない発言に対しては、しっかりとノーを突きつけることしか、当面、対処する方法はありませんから、私たちは根気よく言い続けていくしかないでしょう。

しかしながら、個人を尊重しないムラ社会的な発言というのは、桜田氏のようなケースだけとは限りません。知らず知らずのうちに、私たちも似たような発言を行っている可能性があります。もっとも多いのは、病気にかかった人に対して「絶対に治る!」「弱気でどうする」といった強い調子の言葉をかけてしまうことです。

 
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