私がそういう人たちと出会っていなかっただけ、私がそういう授業の取り方を知らなかっただけなんだなと思い、今度は、学内で発行されていた「単位の取りやすさ授業評価冊子」のアンチテーゼとして「面白い授業紹介冊子」を発行しました。またこういった問題意識を大学の初年次教育に関わっていた山本泰副学長(当時)に直訴しにいったことで、この冊子は2年目には大学の予算で新入生全員に配られています。

その後も、大学生になってからでは遅いと高校生向けのオープンキャンパスや学園祭内でのオリエンテーション(東大ガイダンス)の中身を大改革しました。またこのような大学内における学生の様々な提案や活動が、学生運動の感覚で終わるのではなく大学と連携することで昇華していけるよう、130周年には学生向けの学内提案コンテストのようなもののお手伝いをしました。

写真:古橋マミ子/アフロ

あの祝辞で思い出したのは、上野さん達が女性学を作ったように、そして東大が、ある種異端児である上野さんを入学式祝辞に招いたことが物語るように、大学というのは意外とベンチャー的であり、また既存のシステムに疑問を投げかけ、ルールをぶち壊して新しく作っていくこともできる場所である、ということです。

私は東大にいたとき、ろくに知りもしないで「上野千鶴子のゼミなんかに入るような女子にはなりたくない」「ジェンダー研究で食っていく女性なんか自分の対極」と思っていました。しかし社会人になり、結婚・妊娠をした途端に一人前扱いされなくなり、ジェンダー研究者たちが指摘してきた問題の重要性を痛感することになります。いきがっていた名誉男性的自分を恥じ、すでに東大の教壇から降りていた上野さんを追って立命館大学まで教えを乞いにも行きました。

入学式であの祝辞を聞いて、「上野千鶴子先生、おもしろいじゃん」となった人もいたかもしれない。あるいは、それでも毛嫌いする人はいるでしょうから、余計に反発を招いた面もあるかもしれません。でもそれも含めての問題提起や議論喚起だったのだろうと思います。

女性差別に限らず、世の中の構造が不公平であること、それに対する怒りと好奇心から様々な扉を開いていけること。そのために、大学で得られる知は活用できるということ。これらをすべての大学生と、元大学生の大人たちに覚えていてもらう、あるいは思い出させてくれる、そんな祝辞だったなと思いました。

 
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