夫から妻が殴られるのは「仕方のないこと」だった時代から


「ネット社会到来」の他に、平成の30年で激変したと実感するもう一つのことは、「人権意識の変化」でしょう。特に女性の取り扱い方は、この30年でどんどん丁寧になってきているのです。

 近代以降、人権意識は常に変化を続けてはいます。特に敗戦後は、それまでは人間扱いされていなかった女性の権利が、一気に引き上げられました。やっと選挙権も得ることができて、女性が人間としてのスタートラインに立ったと言うことができましょう。

 敗戦によって、日本女性の人権はビッグバン状態を迎えたわけですが、ではその時に与えられた権利を使いこなすことができたかというと、そうではないようです。突然権利を与えられた女性達のほとんどは、それをどう行使していいのかわからずに戸惑いながら、敗戦から43年続いた昭和時代を過ごしていたのではないか。

 たとえば、昭和37(1962)年の新聞の人生相談コーナーでは、夫からの暴力に悩む女性に対して、
「今まで我慢してきたのだから、さらに頑張ってみましょう」
 といった回答が、有識者からなされているのでした。1960年代から70年代にかけては、夫からの暴力を訴える妻の相談が多いのですが、それらに対しては「耐えましょう」という答えが目立つのであり、夫から妻が殴られることは「仕方のないこと」という感覚があったのです。

 今の若者からしたら信じられない人生相談かと思いますが、1960年代といえば、今の50代が生まれた頃。今の40~50代の親達は、夫が妻を殴ることも必要悪であって、むしろ「殴られるようなことをする側が悪い」という意識すらあったのです。



下級生への暴力、セクハラを許してきた守旧傾向


 夫婦間のみならず、親子間でも暴力によるしつけは珍しくありませんでした。家庭以外でも、運動部では体罰が当たり前。高度経済成長期に発行された男性向けの雑誌において、
「会社内では鉄拳制裁も、時には必要」
 といった記事も、読んだことがあります。

 昭和の時代、閉ざされた集団においては、暴力も「相手のためを思っての行為」と捉えられていたのでした。DV、パワハラという言葉を知っている今の若者からしたら全く理解できないでしょうが、「それが当然」という空気の中で、暴力に異を唱えることはなかなかできなかったのです。

 大学時代、私は体育会系の部に所属していたのですが、そこでも先輩が後輩を殴るといった行為は、しばしば見られました。やはり閉ざされた集団であり、かつ軍隊的な厳しさに当事者達がうっとりしがちなムードが醸成されていたからこそ、暴力という悪風が昭和の末期まで残ったのだと思います。

 男女が共に練習する部において、さすがに女性部員が殴られることはありませんでした。しかし自分は殴られなくとも、目の前で年下の男が年上の男から殴られている時、心の中はいつも、苦い気持ちでいっぱいになったものです。

 しかし私の中には、殴る男に対して、
「やめてください」
 と言う頭がありませんでした。年下より年上の方が偉く、女よりも男の方が上、という儒教的感覚が当然のように横溢する中では、OBや先輩には絶対服従、という感覚が染み付きます。そこで「NO」を唱えるにはよほどのイノベーター感覚と、危険と混乱を引き受ける度量、つまりは進取の気性を必要としました。そしてそもそも体育会での服従生活にうっとりしがちな人は、イノベーター気質を持ち合わせていなかったりするのです。

 男女が共に練習するということで、そこにはセクハラ行為も多々ありましたが、その時も私は、「NO」と言いませんでした。自分は「NO」を唱えられるほどの立場ではない。こんなことはニヤニヤと笑ってスルーすれば、場の空気は丸く収まるのだ。……と、「NO」と言うことによって発生するであろう面倒臭さを回避し続けたのです。

「セクハラ」という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは、平成最初の年。
「それ、セクハラですよ!」
 と、女性達も口に出すことができるようになりました。

 しかし「セクハラ」は流行語になっても、セクハラが著しく減少したかと言うと、そうではないように思うのです。事実、「#Me Too」運動などによって、世の男性がセクハラについて「マジでいけないことなのだな」と実感したのは、平成の末期。「セクハラ」が流行語になってから、実際に女性達が真剣にそしてカジュアルに「NO」と言うことができるようになるまで、丸々平成の30年間を要しているのです。

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「昭和と令和」後編では、昭和的な体育会の暴力・パワハラを象徴する事件だった「日大悪質タックル事件」や女性の意識改革について掘り下げます。
次回は、5月28日(火)公開予定です。

写真/shutterstock
 
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