言葉には「話し言葉」と「書き言葉」があります。SNSやスマホの普及で、まるで話すかのように文字でコミュニケーションする機会が増えてきたせいか、話す場合も、書く場合も、すべて話し言葉という人も多いようです。

話し言葉は相手に柔らかい印象を与えることができますから非常に便利ですが、すべてが話し言葉になってしまうことについては少し注意した方がよさそうです。話し言葉だけでは、論理性が身に付かない可能性があり、多様性が求められるこれからの社会においては不利になる可能性が高いからです。

話し言葉の最大のメリットは、頭の中で文章を整理せずに話したり、書いたりできることでしょう。人前で講演するといった場面でなければ、言いたいことをすべて整理してから話す人はあまりいないでしょうから、他人と会話する時には話し言葉で何ら問題はありません。

しかしビジネスなどで文書を扱う場合には、そうは言っていられません。

会話の中であれば、「〇×は△△なので~、××は〇〇で~、◇◇は××で~」といった表現でも、ある程度までなら相手も付いてきてくれますが、文章でこうした表現をされてしまうと、読んでいる方は何を言いたいのか分からずイライラしてしまいます。

日本語の場合、特にこの問題が大きくなる可能性があります。

世界の言語は、欧米各国の言語や中国語のように主語→述語→目的語の順番になる言語と、日本語や韓国語のように、主語→目的語→述語の順になる言語に大別されます。日本語や韓国語の場合には、結論が決まっていなくても、とりあえず話し出すことができますから、場合によっては何を言いたいのか分からないまま会話が進んでしまうという事態になりやすいのです。

日本では自己主張が嫌悪されるという奇妙な風潮があるせいか、最初の言葉は大きい声で話し出すものの、話が進むにしたがって声が小さくなり、文意を決定するもっとも重要な文末の述語を極端に小さい声で話す人が多いようです。これではまともなコミュニケーションは成立しません。

 
  • 1
  • 2