和田先生は、幼き日の美智子さまと出会ってから31年経った昭和46年(1971)に、小和田雅子さんと巡り合うことになる。

ご家族とともに住んでいたアメリカから帰国した雅子さんが、公立の小学校から田園調布雙葉小学校への編入試験にそなえて個人レッスンを受けに来たのである。

その頃、和田先生はすでに雙葉学園を退職し、雙葉の入学を希望する子どもたちの指導にあたっていた。

「私のところは田園調布雙葉を受ける人は少なかったのですが、お母さまの優美子さんがどこからか私のことをお聞きになって、『ぜひ娘を教えてほしい』と頼んでこられたのです」

小和田優美子さんは、おかっぱで丸顔の雅子さんを連れて、毎週1回、和田先生の自宅に通ってきた。

編入試験のためのレッスンだから、他の子どもはいなくて、雅子さんたった一人だった。8畳ほどの部屋で、机を挟んでマンツーマンの授業である。

そのとき和田先生が雅子さんに教えたことは、感謝の気持ち、目上の方を尊重すること、相手の気持ちになって考えること、人のために何かして差し上げることなどだったという。

「あまりおしゃべりしない無口なお子さんでした。人の話をよく聞かれ、アメリカから帰って来たばかりなのに、漢字が書き順もきちんとしっかり書けました。お母さまがきちんと勉強をさせているのだな、と感じました。

お母様の優美子さんは、姿勢がよくはきはきと物をおっしゃる方で、さすが外交官夫人でいらっしゃる、と思ったものです」

 

和田先生は、こう雅子さんの印象を語ってくれた。

和田先生は、美智子さまの母・正田富美子さんと、雅子さまの母・小和田優美子さんの共通点をあげてくれた。

「ご家庭でのしつけをしっかりなさっていらっしゃいました。これは間違いないですね」

美智子さまに続いて、31年後に再び教え子が妃にあがることになったのだ。

「私は雅子さんをおいてほかにいないと思っていましたので、途中で一度お話がなくなったときには、落胆いたしました。ご結婚が決まって本当によかったです」

そして和田先生の指導のかいあって、無事、雅子さんは田園調布雙葉小学校に編入することができた。

雅子さんが通った田園調布雙葉とは、どのような校風なのであろうか。