さぞかし興奮すると思いきや

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緊張を懐古しながら思い出したのは、社会人になりたての頃、会社のおじさん達がしばしば口にしていた、
「恋がしたい」
「ときめきたい」
といった言葉でした。その頃の私は、おじさん達は劣情を処理したいから、その手のことを口走るのだろうと思っていました。が、彼らがときめきを求めていた理由はそれだけではないことが、今になればわかる。彼等は単純に、「ドキドキしたかった」のではないか。

結婚生活が長い友人が、高校時代の同窓会に参加し、二次会の後、元彼とノリでついチューをしてしまったのだそうです。

「その時にショックだったのは、全くドキドキしなかった、っていうことなのよ」
と、彼女。

夫とは、既にセックスをしないのはもちろんのこと、軽いチューすらしない関係です。久しぶりのチュー、それも夫以外の相手と、ということでさぞかし興奮するかと思いきや、そうではなかった。

「若い頃は、それほど好きでもない男子とチューする時だってドキドキしたのよ。何十年ぶりかのベロチューだったのに、ぴくりとも鼓動が高鳴らないっていうことを確認して、チューをしている最中に落ち込んだ」
と、彼女は嘆いていました。

そこで彼女と語ったのは、「我々が既にドキドキしないのは、もしかすると精神的な問題でなく、物理的な問題なのではないか」ということです。つまり、感受性が鈍感になったからではなく、年をとって心臓や血管の機能が低下してきたから、滅多なことではドキドキしなくなったのではないか、と。

「それはそれで悲しい。というか、人体として危ないのではないか」
ということになったわけですが。

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年齢に伴う感情の摩耗に危機感を覚えた酒井さんが、感情の活性化を図って試して見たこととは……。後編は、6月25日公開予定です。

 
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