会話は、人間の“無意識”をあらわす

 

またメンバーの中で、森だけが生徒会本部役員(副会長)を兼任している。なぜ、生徒会から来ている、しかも新聞部の森が、会話文の冒頭で規約を無視するような軽率な発言をしたのか? このミスは、設問上は、問1を立てるために、わざとこう書かれたのだろう。しかし、だとしたらミスをするのは島崎でもよかった。その方が、うっかりやさんの委員長を常にたしなめる冷静な副委員長(新聞部で生徒会本部役員兼務)ということで、設定としては首尾一貫する。

だが、この【会話文】の作者は、あえて、そのようにはしなかった。であるならば、ここには何か作者の意図、伏線があると考える方が自然だろう。少なくとも、この【会話文】を読んだ演出家は、そのような可能性を読み取って演出をしなければならない。

先にも書いたとおり、実用文や会話文を複数組み合わせて作問するのは、最近の国語問題のトレンドである。しかし、話し言葉の専門家である私たち劇作家からすれば、この問題文は、あまりに不用意だ。会話文は、人間が会話する以上、その人間の無意識が書き言葉以上に表出する。「会話文」は論理的に進むとは限らない。この非論理的な部分と客観的な資料を組み合わせて正答を導き出すような設問になっていれば、この問題は、真の意味での良問になっていたはずなのだ。


問題の会話文を“演じてみた”高校生の反応は


実際、すでに私は、高校生向けの授業で、この問題文を教材として使ったことが何度かある。大学入試センターの出している正答を示した上で、「では、グループに分かれて、この会話文を声に出して読んでみてください」と話す。「ただし、島崎は男性、森は女性が演じてください。ちなみに、皆さんは気がついていないと思いますが、島崎と森は一年生の時に交際をしていましたが、島崎の二股が発覚して別れています」。

グループで会話文を読んだあとに、森を演じた生徒に感想を聞くと、一様に「むかついた」と答える。そして、そこで先の別解を示す。多くの生徒が、たしかに、こちらの方がしっくりくると答える。

さらに、では、これがなぜ正解にならないのかを考えさせる。もちろん多くの生徒が、「それぞれの根拠はすべて【資料①】〜【資料③】によること」という点を指摘する。

授業の最後に私は、このように話す。

「たしかにそうです。でも、私は大学教授として、もしも先の別解を見つけてきた受験生がいたら、そちらをうちの大学には欲しいと思う。そして、それは、大学入試改革の方向にも沿っていると思う」

(つづく)

 
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