この春放送され、大好評を博したお仕事ドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS)。長時間労働を切り口に「幸せとは?」という問題に深く斬り込んでいる作品です。その原作者である朱野帰子さんが、もう一つの長時間労働を描いていることで話題の『対岸の家事』(講談社)。前回のインタビューでは、「専業主婦だから」「男だから」と家事を押し付けたり逃げたりしている社会的余裕はもうない、というお話が胸に刺さりました。そこで第二回は、これから私たちが持つべき視点について伺っていきました。

朱野帰子 1979年生まれ。大学卒業後、マーケティングプランニングの会社、製粉会社勤務を経て、2009年に『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞し作家デビュー。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』(新潮文庫)が話題となり、ドラマ化。二児の母でもある。
 


悪を懲らしめても、次の問題は発生する


今やマイノリティと化した専業主婦を主人公にした小説『対岸の家事』。物語には他にも、働くママや、育児休暇をとって専業主夫となった男性なども登場しますが、皆一様に、誰にも頼れず一人で家事も育児も抱え込み、追い込まれていく姿が胸に刺さります。
前回のインタビューで朱野さんが、「メディアには正論ばかりがあふれ、自己責任論が叫ばれ、他人に頼ることが苦手な人が増えている」と指摘していたように、これは決して小説の世界だけの話ではありません。
物語の中では、主人公の詩穂や働くママの礼子が育児に追いつめられ思わず屋上へ登ってしまう、というシーンがありますが、“べき論”が主流になってしまうと誰もがゲームオーバーになってしまいかねない、と朱野さんは話します。

「いろんな人の多様なケーススタディをシェアいくことが大事だと思います。何事も一人で完璧にやるのは無理、という社会になっていってほしい。日本経済が右肩上がりだった時代は「こう生きるのがよい」という正解のようなものがあったのかもしれない。でも多様性が認められる社会になると、何が正しいか分かりにくくなる。でもそれでいいと思う。これからはそういう世界に慣れていかなければならないと思うんです。私は2015年に公開された『マッドマックス』シリーズの最新版『マッドマックス 怒りのデスロード』がすごく好きです。あの映画では、男性の独裁者に支配されていた女性たちが、男性である主人公の力を借りて自由を勝ち取ります。でも全ては解決しない。独裁者は倒れたけど、じゃあ彼女たちがトップになって上手くいくのかというと、そんな簡単にはいかないような空気を残したまま終わるんですね。明日からも混沌とした社会は続くんだよ、というメッセージがあのラストには込められている気がしたんです。でもそれが今の社会のリアルだと思います」

話題作となった『わたし、定時で帰ります。』も、違う価値観を持つ人たちを全て受け入れていく、という描き方が印象的でした。すぐに辞めるという新入社員も、セクハラを受け入れてしまう女性も、会社のために残業や休日出勤を強要する上司も……。

「正解がない描き方ってモヤモヤすると思うんです。それでもこの作品が多くの人に読んでもらえたのは、他者と対立するのではなく、相互理解したい、という欲求が今の人の根底にあるからだと思うんです。他者を肯定するのってすごく大変です。先日、育休から復帰直後に異動を言い渡され、退職を余儀なくされた男性社員の妻のツイートが話題になりました。私もあの話はショックでしたが、「じゃあ独身なら転勤させていいのか」という声も無視してはいけないと思う。自分に不利益をもたらすかもしれない意見を受け入れるのはしんどいですが、自分だけ勝っても世界は良くならない。モヤッとしながらも、他者の意見を否定せずに一度考えてみないと。とはいえ、私も毎日モヤモヤしっぱなしですが」


家事ほど能力差が出るものはない


それにしてもなぜ育児や家事がこれほどまでに私たちを追いつめるのでしょうか。それは、そこにまつわる作業量が膨大であり、やってもやっても終わりのないものだから。それだけに朱野さんは家事について、残業と並べて「もう一つの長時間労働」という言い方をしているのです。

「私はもともと、家事したくない人間です。結婚して子供が産まれて、しかたなく家事という異業種に途中参入することになった。そこで「こんなに大変だったのか!これは相当頭が良い人じゃないとできなくないか」とショックを受けました。少なくとも、私の能力では仕事と家事の両立なんてやりきれないです。「男がするもんじゃない」と言い張る人たちは、私と同じで、ほんとは家事という業務の難易度が高いのを知ってて逃げてんじゃないのか。そんな邪推をしてしまうほどに家事が辛いです……」

実は朱野さん自身、これと全く同じ論理のすり替えをおこなったことがあるそう。

「去年の年末年始は、夫が家にいるのをいいことに、『わたし、定時で帰ります。』の続編の執筆に没頭していました。その間、育児家事は夫に任せっきり。仕事は家のことに比べたら思い通りのペースで進むので、ものすごい解放感でした。途中で資料を破かれることも、パソコンを叩かれることもない。初めこそ夫への感謝の気持ちでいっぱいだったのですが、それが当たり前になっていくと、成果が見えにくい家事なんかやりたくなくなる。夫に「お皿ぐらい洗って」と頼まれると、むかっとしてしまう。家事や育児を一人でやるほうが精神的に大変だって、自分が一番わかっていたはずなのに、私は忙しいし、家事は誰でもできるんだから、仕事を休んでいるほうがやればいい、という心理になっていく。家事育児は二人でやるものだ、と強く意識しないとすぐ当事者意識がなくなる。逆の立場の時はあんなに夫に怒ってたのに、自分でもびっくりしました」

家事をしない男性たちは、おそらく家事の大変さを分かっている、と朱野さんは言います。なぜなら大変でなければやっているはずだから、と。

「家事って実はすごく能力差の出る仕事ですよね。雑誌やネットなんかを見ていると、毎日手のかかった料理を作り、お菓子はプロ並みに作ってラッピングもする、家をデコってホームパーティーも開く、といった天才レベルの主婦がいます。そういう人たちって、会社にいたらきっと役員レベルの能力だと思うんですよ。会社では誰もが役員を目指そうとは思わないけど、こと家事になると、全員が役員レベルを求めなきゃいけないんじゃないか、と思ってしまう。周囲はもちろん、自分自身でさえも。そりゃ無理だ、って私は早々に役員レベルの家事を投げ出しましたが。うちはいつも散らかってますし、料理は手抜きです」


誰もが幸せになるソリューションを探していきたい


家事は仕事であり、能力もスキルも要するもの。皆がそこのことに気づけば、もっと第三者を頼りやすい社会になっていくのかもしれません。

「最近は家事を主婦経験者に依頼するアプリが出てきたり、子育て経験のある主婦がシッターとして働いたり、ということが増えてきてるんですよね。家事で対価を得るのが普通になってきた。すごく良いなと私は思っています。家事をこなすスキルが高い能力であると社会的に認められてきたということですし、必要としている人にマッチングできるならしたほうがいいと思います」

 

そんなふうに、みんなが幸せになるソリューションは必ずあるはず。その答えを探すことが、朱野さんの創作活動の原動力にもなっているそうです。

「次作では、ものが売れない時代のメーカーの物語を書きたいなと思っていて。もともとマーケティングの仕事をしていたから思うのかもですが、不況になると、何かを作る前から「どうせ売れないだろう」という負け戦ムードが漂うじゃないですか。でも、そういう時代にも、売れているものは売れている。本当に不況のせいなのか、商品戦略を立てることよりも、社内の人間関係の争いの戦略を立てることに夢中になっていないか。そんなムードと戦う人たちを描きたい。『幸福論』の著者・アランの言葉に「幸せになることは義務である」という言葉がありますが、私たちはもっと幸せになっていいと思う。主人公が勝ってスッキリ、ではなく、全員が幸せになれるソリューションを見つけるために努力する作品を、今後も書いていきたいと思っているんです」


『対岸の家事』のプロローグと1話を無料掲載いたします。

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『対岸の家事』

著者  朱野 帰子 1400円(税別)講談社

『わたし、定時で帰ります。』の著者が描く、もう一つの長時間労働。家族の為に「家事をすること」を仕事に選んだ詩穂。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。誰にも頼れず、限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。終わりのない「仕事」と戦う人たちをめぐる、優しさと元気にあふれた傑作長編!

取材・文/山本奈緒子 撮影・構成/川端里恵(編集部)