それを打破した大きなキッカケは、サイトが大きくなっていく過程で、大草編集長時代を経験していない、つまり、それまでのミモレの文脈を(良い意味で)シェアしていないスタッフがどんどん加入してきてくれたことだったように思う。「大森さんのやりたいミモレって何ですか?」と、ことあるごとに聞かれ、どうにか言葉で伝えていくうちに、「私が私のやりたいミモレをやるしかないな」と、肩の力が抜けてきた。ここまでに、かなりの時間を要してしまったと思う。

ミモレに携わる前の雑誌編集者時代は、読者の方々の気持ちを想像しながら数か月先の気運を読み、企画を練り上げていく作業だった。いうなれば、媒体としての正解を提示し、読者の方を説き伏せていくようなイメージ。それに対し、ミモレでは読者の方とその時その時に感じたことを対話をしながら共有していくようなイメージ。「心配するな。俺についてこい」ではなく、「私はあちらにまいります。もし、よろしければご一緒にいかがですか?」というようなニュアンスとでもいうのだろうか。

誰かが言った。今後、時代を牽引する価値観は「説得」から「共感」へ変わる、と。

それまでの18年間の雑誌編集者として使ってきた筋肉とまったく違う筋肉を使って思考する作業はなかなかにしんどいものがあったけれど、webメディアが目指すひとつのあり方として正しいと思えた。

と、頭ではわかっているものの、自分自身が揺れていることをそのまま晒すことは、私にとっては簡単なことではなかった。これに関しても、かなり長い間、逡巡していたように思う。そんな時、知人から「大森ミモレは、大森ちゃんの模索の道程ごとサイトで追体験できて楽しい」と言われたことがかなり私を楽にしてくれた。

編集長となった自分の敵は、自己防衛に走っていた自分だった。

あなたはあなたのままでいい。

スタート時から、読者の方へミモレが連呼してきたメッセージを自分がいちばん実践できていなかったという衝撃の事実。

今となっては、笑うしかない

脳内BGM/ロッキーのテーマ

〜明日へ続く〜

 

質問お答えコーナー
たくさんのコメントありがとうございます。日々、泣きそうです(笑)。いただきましたご質問にできるだけ対応できればと思い、こちらで唐突に返答してみます!

6月14 日の「のえる様」からの質問。
①先輩にとっての仕事とは? キャリアとは?

「編集者を目指したキッカケは、読むのが好きだった雑誌を自分で作ってみたかったから=楽しそう!」に尽きるのですが、ミモレに携わった今は「もっと何かできるかもしれない」と自分の可能性に挑戦したくなりました。

②座右の銘は?
本当にまったくないんですよ。好きな名言はいっぱいありますけれど。うーむ。これは、あと2週間考えさせてください(笑)。

③婦人になってもまだまだどこか迷える子羊感のある人に一言送るとしたら?
今、何かを迷っているなら危険な方へ。岡本太郎さんが著書の中でおっしゃっていました。「今、あなたは危険な方の選択肢に興味があるから迷っているのであって、そんな時は安全だと思う方を選んでもほどほどの満足か後悔しか味わえないよ」と。いかがでしょう?

 
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