「私は寂しい」「娘は非情」アピールがプレッシャーに


夫婦というユニットが成立していれば、ユニット内で解決が可能だった諸問題は、ですからユニットの消滅以降、急に子供のところに降りかかるのでした。我が父が他界し、母が一人で実家に住むようになった時も、まさにそう。

遊び好きの母親なのに、
「外でランチしたくても、一人じゃお店に入れないのよ」
などと言い出して、私はびっくりしたものでした。頑張って週に一回は実家に戻って食事をするようにしたものの、たまに行けない週があると、ブツブツ言われる。「私は寂しい」「私ってこんなに可哀想」「娘はこんなに非情」というアピールがどんどん強くなり、周囲の人からの、
「お母さん、寂しがっていらっしゃったわよ」
とか、
「一緒に住んであげたら?」
といった言葉も、プレッシャーになりました。

その時、同じ立場の友人から、
「絶対に一緒に住んじゃダメ。一生、逃げられなくなるから」
とのアドバイスに「そうか」と思ったのですが、確かにもしもその時に一緒に住んでいたら、母と娘がユニット化し、そこから抜けられなくなったことでしょう。

今になれば、その時の母親の寂しさを、私は全く理解していなかったことがわかります。自分も父親を亡くして寂しいし、母親は夫を亡くして寂しい。寂しいのは一緒でしょうよ。……と私は思っていましたが、別々に住んでいた父親を亡くす寂しさと、同居の夫を亡くす寂しさとでは、寂しさの質が違います。夫婦仲が良くなかったとはいえ、何十年も共に住んだ相手がいなくなった喪失感は、父親がいなくなる感覚とは、全く深さが違ったであろう。その上、我が母は実家からヨメに来ましたから、一人暮らしの経験も無いし、経済的に自立した経験も無い。そんな60代女性が一人になった時の孤独感は、いかほどのものだったか。

当時の私は、そのことがわかっていませんでした。同時に母親も、「娘と自分の立場は全く異なる」ということが、わかっていなかった。つまり母親は、「夫を亡くした妻の寂しさ」をアピールしさえすれば、独身の娘である私が理解するだろう、と思っていたのです。

かくして、母親からの「私って可哀想」アピールは増し続け、そのアピールを感じれば感じるほど、私の腰は引けることに。そうなるとさらに母親のアピールは強くなる……という悪循環に陥りました。とはいえ、母をウザがり、母から逃げていることの罪悪感は募るので、物品を買い与えることでその罪悪感から逃れようとしていたのです。

母は、自分の友人達と比べても早めに夫を亡くしたため、同じ立場の友達もいませんでした。そういった事情も、今思えばかわいそうだったけれど、当時の私は「とにかくこの重さから逃れたい」としか思えなかった。


介助や介護が必要になって思うこと


友人達は今、かつての私と同様の気持ちを抱いています。以前はしっかり者だった母親が、「もっとかまって」「私はこんなに寂しい」と、のしかかってくる。そんな母親を邪険に扱う自分が嫌だから、「これ以上、ママのことを嫌いになりたくない」と思うわけで、その言葉は、私の胸の痛点をも刺激するのです。

50代の娘達が母親のことを嫌いになる理由は、ドクダミの根のように深く絡み合っています。私のように、「私って可哀想」アピールを受け止めきれない娘もいれば、経済力を持つ娘に依存し、おんぶおばけになっている母親も。女帝のように絶大な権力を娘に対して振るい続ける母親もいれば、幸せそうに生きている娘に対する嫉妬を抑えられない母親も。母親を嫌いになってしまう理由はこのうちの一つというわけではなく、多くの場合は複合型です。

さらには、50代の子を持つ母親となるとほとんどが後期高齢者ですから、身体のあちこちには衰えが見られるように。介助や介護を、相手のことが嫌いという状況でしなくてはならないこともまた、つらい。

若い頃から母親との折り合いが良くなかった友人は、
「ママのことは、正直に言って今も好きじゃないのよ。でもママが病気になった今、その気持ちで介護したら、亡くなった時に一生治らない傷が自分に残りそうで、怖くて。そうなりたくないっていう思いだけで、今は頑張ってる……」
と言いました。

そんな彼女を、しみじみ偉いと思っている、私。私の場合は、母に対する「ウザい」「重い」という思いが破裂寸前まで膨れあがっていた頃、ほぼ突然に母が他界したのでした。友人のように、「母に対するどんよりとした念を浄化するための介護」といった行為も全く無いままに母を見送った私の中には、どんより感が、今も残り続けているのです。

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50代の息子と母の関係はどうなのか、子育て要員として駆り出される「ばあば」の言い分は……など、母と娘がわかり合うときは訪れるのか酒井さんの分析は後編へと続きます。

 
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