酒井順子さんによる書き下ろし連載。前回に続き、母娘関係の難しさについて考察します。寂しいアピールで詰め寄る母親に対するネガティブな感情や、期待にこたえられていない罪悪感が払拭されるときは訪れるのでしょうか。

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母を「実用品」として扱ってきたところはなかったか


女同士であるからこそ複雑怪奇な、母との関係。ではこの感覚を、50代の「息子」達は持っているのかと見てみると、母親の重さに悩む息子は、そう多くない模様です。男兄弟がいる友人達は、
「ママって、うちの弟にはいい顔するのに、私にはわがまま放題っていうのが、ムカつく」
と言う。

母親にとって、息子はいつまでも恋人のような「面倒をみてあげたい」存在であるのに、同性である娘は「実用品」。介護要員と目されています。また息子の場合は、「ウザい姑になりたくない」と、その配偶者の存在も気にしますが、娘の配偶者は、それほどには気にされないのです。

昔であれば「女は、結婚したら二度と実家の敷居はまたがない覚悟を持つべし」といった思想があったわけですが、我々世代にその感覚はありません。むしろ、妻の実家の近くに住む方が、子育てを手伝ってもらいやすくて便利。私の友人達を見ると、自分の実家で二世代住宅とか、実家の至近距離に住むケースは、その逆よりもずっと多いのです。

しかし我々も、昔は母親のことを「実用品」として扱ってきたのでした。学生時代であれば、毎朝お弁当が出来ているのは当たり前。洗濯も料理も掃除も、母親がやってくれるもの、と。我々世代は、今の若者のように家族に対して感謝することに慣れていませんから、ロクに「ありがとう」も言いませんでしたし、家事労働の背景にある家族に対する愛についても、どれだけわかっていたことか……。

娘が結婚して子供が生まれれば、「ばあば」は子育て要員として、さらに実用品化します。嬉々として孫を育てるばあばがいる一方で、
「自分の子供は自分で育てなさいよね!」
と、ムカついているばあばもいたものでした。

娘が50代ともなれば、孫も大きくなり、ばあばの手を借りなくなってきます。孫離れを余儀なくされたばあばは、急に寂しくなって娘にもたれかかり、今度は今までとは反対に、娘が「実用品」化。それまでは頼りにしていた母親が今度はのしかかってくることで、娘はその重さに呆然とするのです。


旅行と趣味だけでは間が持たない「ばあば」の余生


母親がここまで重い存在となった背景の一つが、「人生100年時代」というものだと私は思います。女性の平均寿命が90歳にならんとしている、日本。母と娘の関係は、延々と続くことになりました。

昔であれば、人は年をとって孫を抱いたなら、さほどの時を経ずしてあの世へと旅立っていたもの。対して今、「ばあば」は孫の結婚式に出席し、ひ孫を抱いた後でも元気に海外旅行に出かけたりします。ばあば達の余生はうんと延びたわけで、その時に夫に先立たれていたならば、ばあば達の愚痴も不満もおしゃべりも、最後に受け止めるのは娘ということに。

長生きのばあばであれば、夫亡き後、30年は余生が続くこともあります。その間ずっと娘がケアをし続けるとなると、それは自分が一人前になるまで育ててもらった期間よりずっと長いことに。「この重さが、いつまで続くのだろう」という不安で、娘達は虚空を見つめるのでした。

夫の亡き後にボーイフレンドを作ってくれると、娘としては少し負担が軽減されるものです。我が母の場合も、ボーイフレンドというのか飯トモというのか、仲の良い男友達がいたので、私は「ありがたや」と、手を合わせておりました。冬は毎週のように一緒にスキーに行っていたので、こちらの「一緒に食事をする」という負担も減。「どんどん行ってくれ」と思っていました。

人生が昔よりもぐっと長くなったからこそ、旅行と習い事だけで間を持たせることが難しくなってきた、親世代の余生。配偶者がいなくなったなら、ばあば達はさらにもう一花、咲かせてもらいたいといころです。

 
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