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「日本の閉塞的な男社会を変えるにはどうすればいか?」という話になった時に、必ず爆笑をとれる私のてっぱんネタ、それは「“その手”の年配男性が100%罹患し、“その手”の口出しできなくなるウィルスを作ってばらまく」というファンタジーです。時には「そんな男性ばかりではないのでは?」という女性や、「俺はそんなことはしない」「男だけじゃなく、年配女性にもそういう人はいる」という男性から、しごく真っ当にたしなめられます。まあでもそういう男性は罹患してもしなくても口出しはしてこないし、さらにいえば、女性でも“その手の口出し”してくる権力と体質を持つ人は罹患する、という詳細設定があるので大丈夫!(大丈夫?)

 

とはいうもののいささか不謹慎かつブラックなネタですから、まさに“その手”の男性や、“その手”の上下関係に疑問を持たない男女が漂わせる、「お前みたいな生意気女はそのうち消える」みたいな空気も面倒なので、そこらへんはきめ細かく忖度しながら、場を選んで言ってきたネタなのですが、ここにきてついつい公に言いたくなっちゃったのは、「ああああなんかもおー!」という出来事が、このところぽこぽこ起きたから。


甲子園は一生に一度の“最後の勝負”なのか


まず筆頭はこれ。高校野球の岩手県大会決勝で、監督が「将来はメジャー確実」と言われる佐々木投手に投げさせなかったことについて、野球界の重鎮・張本勲さんが「99%登板させるべきだった」と喝!を入れるという記事。この週刊文春の記事のタイトルは、実のところweb版としては驚異的にあおってない。っていうか、逆に内容より和らげたもので、重鎮は「壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命」とまでおっしゃっています。「苦境に立たせることがプラス」「一生に一度の勝負」って言葉もあります。

私としては、この選手が故障する可能性を押してまで出場しないと勝てない、ってことのほうが、なんとなく「喝」な気がするんですが、どうなんでしょうか。ここで勝って甲子園行ったら、また甲子園でこういう状況が続くわけですが、その時にもやっぱり彼は故障する可能性を押してまで出場? もちろんこの試合だって、気持ち的には投げたかったというのはわかります。一緒に野球やってきた仲間と、一緒に甲子園に行きたい。でも仲間たちだって、ここで彼が肩を壊していまひとつ飛躍できなかったっていうより、10年後メジャーで活躍のほうが絶対にいい。いや活躍できなかったとしても、10年後にはちょっと切ない酒飲み話として盛り上がりこそすれ、あいつのせいで甲子園に行けなかったとは思わないはずです。

さらにいえば、彼自身が出場しないことにある程度納得したのは、この試合が彼にとっての本当の「一生に一度の勝負」じゃないということでは?ここで投げてなかったらメジャーに行けないとか、ここで勝たなかったら野球人生が終わるとか、その手の経験すべき、無理してでも打ち勝つべき苦境なのか、っていう話です。

さて張本さんに限らず、こうした“その手”のご年配がいつも口にするのが「俺たちの時代は」的観点です。“その手”のご年配って、なんらかの形で成功されている方が多いので、自分のやり方に自信をもっていらっしゃる。「昔の大投手は」と語る張本さんも球界史に残る素晴らしい選手なのでしょう、私は詳しくはありませんけども。

でもね、そういう大投手たちだって「あそこでの無理がなければ……」という、その後に選手人生に影響を与えた試合は、今の時代の科学的医学的知識があれば、あったかもしれません。昔と今では食べ物も生活様式も違うから、選手の身体構造自体も違う(腕が長いとか関節が弱いとか)かもしれないし、発達スピードや身体が出来上がる年齢も違いそうです。もちろん個体差もあるでしょう。投げる投げないの判断には、当日の気温の高さもあったとか。今と昔では気温も異なりますよね。そして重鎮の時代は、メジャーを見据えて選手人生を考えている人なんて、ほぼいなかったんじゃないでしょうか。

そうそう、実は“その手”のご年配って、バブル時代を社会人として謳歌した世代でもありますね。サラリーマンの中にも「俺たちの頃は夜中まで働いて朝まで遊び、そのまま仕事に行ったもんだ。今の奴らは体力も気力もかけてる」みたいなこと言いやがる人がいますが、彼らの時代って昼間ぼーっと遊んでるだけで儲かった時代です。そういうあれやこれやの違いに何の配慮もなく、無邪気に展開される根性論やそれに類するものが、私は死ぬほど嫌いです。

そうそう、吉本興業の件も違和感だらけですね。専属のタレントでありながら契約書がないというのには、開いた口がふさがりません。個別案件の処遇はさておき、「契約はすべて口約束」という体制自体がこういうトラブルの一因でもあるのに、それを正したいという一部の若手を相手に対し、「吉本は昔からそういう会社なんやから」というその他の人たちのズレズレ感。重鎮にこそ「俺たちの時代はそれですんだけど、今の時代はそんなんあかん」とバシッといってほしい。

そして“その手”の重鎮の言うことを、みんないつまでも聞き続けるのかなあ、日本人って。

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