50歳で急逝したモデル・雅子さん。その夫である大岡大介さんが製作した、彼女の半生を綴った映画『モデル 雅子 を追う旅』は、好評により上映期間が延長されたほど。大岡さん、雅子さんご夫婦と生前から家族ぐるみでお付き合いがあった白澤さんによる対談一回目では、映画に対する感想や雅子さんの思い出話をお届けしました。第二回は、夫婦のこと、そして大切な人を失った思いなど…ありのままに語ってくださいました。

 

大岡大介
1971年生まれ。本業はTBSの番組プロデューサーで、かつて同社で『ハンニバル』(01年)や『バイオハザード』(02年)の共同事業、『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(03年)、『アフタースクール』(08年)といった邦画製作に携わっていた。今年、『モデル 雅子 を追う旅』で映画監督デビュー。

 


雅子さんと生きたことだけが
人生の全てというわけではない


白澤 聞きたいことがあったの。雅子さんと交わした3つの約束の3つ目に、「寿命の長いほうに合わせて一緒に逝く」というのがあったけど、これについてはどう思っているの? というより、そもそもこの約束はどういう意味なのかな、と思って……。

大岡 これは、字面の通りですよ。手をつないでそのまま一緒に逝こうね、と。雅子さんが亡くなった今は、もうどうにもできないけれど。ただ、これから同じような約束ができる人と一緒になれたらいいな、とも思っていない。

白澤 なるほど。

大岡 もちろん、そういうふうな人に出会えたらそれはそれでいいけど、この約束は雅子さんと僕の約束であって、それ以上でもそれ以下でもないし、そこまで重い背負い方もしていない。

白澤 そうか、そういう思いなのね。

大岡 雅子さんと生きたこと、この映画を作ったことは、自分の人生において一番大事だけれど、それが全てではない。これはこれで心の中に置いておいて次にどんどん行かなきゃいけない、という捉え方かな。大事な約束ではあったけど、それが自分のことを一生縛ったりするものではないよ。

 

 

喪失感はひとつひとつ

立ち向かってほぐしていくもの
 

映画内では、雅子さんの想い出の衣服を親しかった人々に形見分けするイベントの様子も収められている。額装の写真:玉置順子(t.cube)

白澤 でも、これだけ自分の一部になっているような存在で……喪失感が襲ってくることはないの?

大岡 亡くなって一周年の頃に、雅子さんの残したものを親しかった人たちに形見分けするイベントを開いたでしょ? あれをやろうと思ったのは喪失感が大きかったのかもしれない。

白澤 置いてあるのがきつかった、と言ってたもんね。

大岡 もう、すごいきつい。本人の服がクローゼットにぎゅうぎゅうになって残っている。でも僕は日々忙しくて全然片付かない。すると、こんなにたくさんの物があるのに使う人が誰もいないっていう思いが襲ってきて。あれが喪失感だったのかもしれないね。

白澤 でも形見分けをするというのは素晴らしい考えだったよね。

大岡 大変だったけど、仲間が助けてくれて思い出深いイベントになったしね。だけど喪失感は、今でもあるよ。たとえば映画を観に行ったときとかデパートに行ったりとか賑やかなところに行くと、「こんなにもたくさんの人がいるのに雅子さんだけいない」という実感に襲われたことが何度もある。映画を見ても、何かを食べても、雅子さんと僕にしかできないシェアの仕方があったけど、それはもうできないんだ、という感情は常にあるよね。

24時間に及ぶ大手術を経て退院した後、屋上でのひとコマ。

白澤 大切な人を失うと、そんな感情になるのかと考えると怖いけれど、大岡くんはどう対処しているの?

大岡 対処していないな。「うわー、雅子さんがいない、ちきしょー」という波がきたときは、ただ「うわー」と思っている。でも目の前にやらなきゃいけないことは迫ってくるから、「うわー」と思いながらやっている。

白澤 日々のことをしていく中で紛れさせていくんだね。

大岡 人間て良くも悪くも飽きるし、忘れるんだよ。その生理にある程度任せているかな。映画を作り始めると、誰にインタビューをするかとか、いろんなことがどんどん畳みかけてきて収拾がつかなくなって。「何で俺はこんなに疲れているの、雅子さんのせいだよ」という喪失感がグワーッとやってくるの。そこに一つ一つ立ち向かってほぐして、という繰り返しだったかもしれないし、それはこれからもついてくる。でもしょうがない、無理して消そうとか克服しようとするものでもないと思うんだよね。

白澤 忘れようとするのが、結局一番辛さを引き寄せちゃうのかもしれないね。

 
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