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雅子さまの語学力を育んだ「家庭の方針」とは?〜幼少時のアメリカ生活と好きな童話

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淡いクリーム色のノースリーブのロングドレスにエレガントなレースジャケットをお召しの雅子さま。5月末、アメリカのトランプ大統領を迎えた宮中晩さん会での雅子さまは、輝くばかりの美しさでした。

アメリカのトランプ大統領を迎えた宮中晩餐会で 写真/JMPA
 

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晩さん会の席上、天皇陛下は、
「皇后も、幼少の時期をニューヨークで、また、高校、大学時代をボストン郊外で過ごしており、私どもは貴国に対し、懐かしさとともに、特別の親しみを感じています」
と、述べられました。そのお言葉通り、通訳の手を借りずにごく自然に大統領夫妻と笑顔で会話されるお姿に、多くの国民は感嘆したものです。

幼少期をアメリカで過ごされたという雅子さま。
それはどんな子ども時代だったのか、これからお話いたしましょう。

父の学ぶ背を見て育つ

生後約3ヶ月の雅子さま。自宅で恆さんと。写真/宮内庁提供

雅子さまの父、小和田恆(おわだひさし)さんは、外務省にお勤めの外交官でした。雅子さんが4歳のときに、恆さんのアメリカ転任が決まりました。極寒の地、モスクワで過ごしていた雅子さまご一家は、アメリカに引っ越すことになったのです。

恆さんは国連日本政府代表部一等書記官となり、家族はニューヨークで生活することになりました。住まいはニューヨーク市ブロンクスのハドソン川をのぞむ丘に立つ、レンガ色の10階建てのマンションです。4歳半の雅子さんは、ニューヨーク市立第81キンダーガーデン(幼稚園)に入園しました。
ニューヨーク時代、30代後半の恆さんは、外交官として将来を嘱望される立場にありました。ある外務省OBは、
「彼が専門に勉強している国際法に関する知識は素晴らしいもので、ほとんどすべての条文について参考書なしで引用ができたといいます」
と感心しています。

おそらく書斎でタイプライターを叩き、国際法関係の資料を開く父の姿を、幼い雅子さんは見ていたことでしょう。子は親の背を見て育ちます。父が子どもたちのために割く時間は少なかったことでしょうが、勤勉に学ぶ父を見ながら雅子さんは育っていきました。


雅子さまのお気に入りの童話は「フランダースの犬」


母の優美子さんは、常に娘に日本を忘れないようにとの心配りをしていました。
一例をあげてみましょう。

小和田家では、毎晩、読み聞かせの時間が設けられていました。母が日本にいる祖母から送られてきた童話全集を開くと、姉妹3人が集まってきます。長女の雅子さんと双子の妹たちです。
子どもたちは車座になって、母の読み聞かせに聞き入ります。優美子さんは、かつて慶應義塾大学で市川猿之助の「車座」に参加して演劇活動をしていただけあって、上手に読みます。
母の優美子さんは、毎日、順繰りに子どもたちの好きな本を読み聞かせていきました。
「今日は雅子の好きな物語。明日は礼子のリクエスト。その次は節子の好きな本」
というふうに読み聞かせしていくのです。

なかでも『フランダースの犬』は、雅子さんがことのほか好んだ本で、ネロ少年とパトラッシュが死ぬクライマックスでは涙ぐんでいたといいます。
「雅子さんは、お気に入りの『フランダースの犬』を何度もなんども繰り返して読んでもらって、そのたびに涙ぐんでいるのです。心の優しいお子さんでした」
と、当時を知る人が語ってくれました。
母が日本の言葉で語る外国の童話で、雅子さんは感動する心を育んでいったのです。

雅子さま3歳。モスクワにて双子の妹と散歩を。写真/宮内庁提供

父の恆さんは言います。

「日本人として、日本語をきちんと話せないと困りますから、ニューヨークでも日本人学校の補習に通わせ、家庭でもできるだけ教えていたのですが、やはり、われわれも気づかないような不都合があるのです。
たとえば、帰国した直後、『今年は昭和何年ですか』と聞かれるとわからない。毎日、日本にいるときと同じように生活していても、いつの間にか年号などは自然に西暦で過ごしていたのですね」

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