人は決して生産性ある、なしでは語れません。そんな当たり前のようなことが、忌まわしい事件や失言が繰り返されるたびに、この世界では当たり前ではないんだと気づかされ、愕然とすることがあります。女性と出産についてもそう。女性はみんな子どもを産みたいとは限りません。子どもが産まれることは奇跡の連続で、決して子どもを望んだ全ての人が子どもを産んでいるわけではありません。作家の甘糟りり子さんが、著書『産まなくても、産めなくても』の文庫化にともない、そんな私たちのモヤモヤについて寄稿してくださいました。

 

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「えっ。もしかして子供嫌いなの?」
特に子供を産みたいと思ったことがないと友人にいったら、そう聞かれた。懐疑的な口調には明らかな非難がにじんでいる。最近は多様性なんて言葉をよく耳にするけれど、それでもやっぱり世の中は子供を産まない女性には風当たりが強い。男性と恋愛をしていればその先には法的な結婚が横たわっていて、結婚したらしたで子供を作ってこそ家族として完全になる、そんなイメージがまだまだ漂っている。
私は子供が嫌いではない。かといって、子供なら誰でも好きというわけでもない。かわいいと思う時もあれば、そう感じない時もある。これって変だろうか。

出産に関しては、子供を産みたくないと意思的に考えていたのではなく、別に産まなくてもいいかなあという程度。恋人がいれば、この人の子供はどんなだろうという想像ぐらいしたこともある。だからといって、なんとしてでもその人の子供を産みたいという気持ちにはならなかった。これも変?
あまり関心がない、というのが的確だと思う。関心がないわけではないのだけれど、私にとってはその時々、目の前にある他の何かのほうがエネルギーを注ぐ対象だったのだ。
などということを、私はずっと心の中に仕舞っておいた。おそらく、こんな私の生き方は無責任だし自分本位だし、ダメな人だという自覚があった(無責任というのは人類が繁栄するためのバトンを渡すことにおいての責務である)。こうした気持ちや考えは人にさらけ出してはいけないものだと思っていた。
「産む」か「産まない」か「産めない」か、女性は結局、そのどれかに押し込められてしまう。そのことを窮屈に感じる自分は、社会における女性という役割からはみ出しているに違いない。

女性が働くことは、やっと当たり前になった。けれど、今でもまだ出産と育休がキャリアの妨げになっているのが現状である。
私は男女雇用機会均等法が施行された年に社会に出た。会社勤めは一年しか続かず、その後に無職の時期があって、三十歳になる少し前から出版業界に出入りし始めた。それからはずっとフリーランスで働いている。組織にいる女性が出世していく過程で家庭を取るか昇進を取るかの選択を迫られているのを、何度も横から覗き見た。
結婚はまだしも出産をしたらその後のキャリアは諦めるのが暗黙のうちのルール。肩書きが上がっていくのは大抵四十歳前後だが、人の上に立つ責任のある立場に立ったら、出産や育児で一定期間離脱することは許されない空気があった。
「女はいくら有能でもリーダーは任せらないよ。だってそのうち子供産みたくなるでしょう」

公然とそんなことを言う男性はうようよいた。家庭を作ることに興味のない私でも、聞く度に腹が立った。けれど私だって、心のどこかで私生活を犠牲にして昇進をする女性を痛々しく思ったこともある。
私たち世代を反面教師にしたのか、下の世代の女性たちは責任のある立場につく前に子供を産むようになった。自分に稼ぎがあるから、昔のように結婚相手に乱暴なハードルを設けない。彼女たちを見て、そうか、キャリアも結婚も出産もあきらめずに全部を手にしてもいいのかと気がついた。気がついたというより、驚いた。私と同世代の産めなかった女性の中には、同じような驚きの中にくやしさがにじんでいた人もいただろう。

 


そんな状況を物語にしたのが、2015年に刊行された『産む、産まない、産めない』という短編集だ。想像以上に多くの読者に手に取ってもらった。たいていの女性にとって切実な問題なのだと思った。
タイトルに惹かれたのに産んでない女性が出てこないという反応もたくさんあった。タイトルは後から付けたものだが、それは言い訳にはならない。産まない女性の話を期待した読者を落胆させただろう。
この本に関しては、さらに大きな後悔がある。女性は産むことが当たり前、出産は女性の最大の喜びであるという前提の元に物語を作ったことだ。自分ではそう思っていないのに、世間の価値観に従って書いたところがある。それをくつがえす気概があの時の私にはなかった。

2017年に刊行した『産まなくても、産めなくても』を書く時は、今度こそ、産んでいない人の気持ちを解放したいと思った。肉体が表現となるスポーツ選手を主人公にした。東京マラソン出場を目標に、出産を「あきらめる」マラソン選手の物語である。ところが、前作同様に産まない人が出てこない、という反応が少なくなかった。考えてみれば、産まないことに確固たる理由は必要ないのだ。私を含めて、ことさらそれを望んでいない女性はいる。本当に私はわかっていないなあと、本が出た後に落ち込んだ。
それが今年の夏、文庫になった。
その頃、参議院選挙があり、れいわ新撰組が台風の目となった。結果が出るまではテレビ番組にはまったく無視されていたけれど、 SNSでは山本太郎さんのスピーチがたくさん拡散されていた。
「生産力で人間の価値が図られる世の中はおかしい、変えたい」という発言が心に引っ掛かった。人の抱く劣等感と優越感が生産力から生じることがほとんどである。
生産力という言葉を出産力、人間を女性と置き換えてみる。出産力で女性の価値が図られる世の中はおかしい。産んでも、産まなくても、産めなくても、その人生の価値は等しいのだ。
 

 

『産まなくても、産めなくても (講談社文庫)』
著者 甘糟 りり子


女性の妊娠と出産について描いた七つの物語。2017年の刊行時に大変話題となった短編集がこのたび文庫になりました。「第一話 掌から時はこぼれて」39歳の女性弁護士が、ふとしたきっかけで知った卵子凍結の情報に、心が大きく揺さぶられて……。/「第二話 折り返し地点」妊娠よりもオリンピック出場を優先してきた女性アスリート。レース前、胸に去来したものは?/「第三話 ターコイズ」不妊治療中の女性たちが集うイベントで、子宮の劣化の話を聞いて愕然となり……。/「第四話 水のような、酒のような」バブル時代に独身生活を謳歌した男が、不妊治療のクリニックで思わぬ宣告を受け……。/「第五話 エバーフレッシュ」妊娠をめざすのか、仕事を優先するのか。女性の厳しい現実に対応する、新しい社内制度とは?/「第六話 五つめの季節」三度目の流産で子供をあきらめかけたとき、養子縁組のことを知り……。/「第七話 マタニティ・コントロール」近未来。不妊治療や子育て支援に大きな予算が投じられ、妊娠は政府によって制御されようとしていた。前作『産む、産まない、産めない』に続き、たくさんの女性や病院等への取材を重ねたうえで生み出された意欲作。現実よりもある意味リアルな物語に心を揺さぶられます。

構成/川良咲子