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雅子さまに一目惚れした皇太子さま、3カ月の間に4回の運命の赤い糸

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雅子さんを食事に招待。留学時代の思い出で話が弾む

ご婚約決定後の記者会見を終えたお2人。写真/JMPA

2度目の出会いは、それから1カ月後にやってきました。英国大使館で開かれた日英協会主催のパーティの席です。

お二人が私的な会話を交わしたのは、その年も押し詰まった暮れのことでした。
3度目は12月30日の晦日の日、皇太子浩宮さまは雅子さんを食事に招待したのです。ハーバード大学の弘中平祐・和歌子夫妻も同席し、お二人の間では留学時代の楽しい思い出で会話が弾んだといいます。
 
もしかしたら、このころから雅子さんは自分が浩宮さまから個人的な関心を持たれているかもしれない、と感じるようになったのではないでしょうか。

年が改まった昭和62年(1987年)1月9日、日英協会の餅つきパーティの席上で、浩宮さまと雅子さんは再び顔を合わせる機会がありました。なんと、たった3カ月の間に4回もの出会いがあったのです。

その年の4月、雅子さんは外務省に入省しました。配属されたのは、経済局国際機関第二課。雅子さんは、本格的に外交官として仕事をしていくことになったのです。
しかしながら、雅子さんに注目し期待をかけていたのは外務省ばかりではありません。浩宮さまをとりまく人々、いいえ、浩宮さまご本人こそが、未来の雅子さまの可能性を見出していたのです。

次回はいよいよ、お二人の恋のお話をいたしましょう。

 

美智子さまから雅子さまへ 三部作1 美智子さまの想いが雅子さまへ 雅子妃誕生
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外交官だった小和田雅子さんは、皇太子・浩宮さまに見初められて皇室に入ることに。雅子さまの生い立ちやから皇太子の熱い求愛、ご成婚までの軌跡が余すところなく盛り込まれた作品。雅子さまと同じく、平民から皇室に入られた美智子さまのお姿を交えて描きます。

 

 

美智子さまから雅子さまへ 三部作2 美智子さまもご祝福 雅子さまに愛子さま誕生
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涙の流産を乗り越え、愛子さまをご出産された雅子さまの苦悩と喜びのすべてが一冊に。皇室という見知らぬ世界に入り、お子さまを生まなければならない重圧を、雅子さまはどのように乗り越えたのでしょうか。美智子さまから雅子さまに伝える母の想いを織り込みます。

 

 

美智子さまから雅子さまへ 三部作3 美智子さまもお支えに 雅子さまご成婚十年の苦悩
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愛子さまをご出産されたのち、適応障害になり長期の療養生活を送られた雅子さま。ご成婚から10年を迎え、病と闘われているご様子に触れた作品です。雅子さまをやさしく包み込む、皇太子浩宮さまと美智子さまの愛に胸打たれます。
 

本文、キャプションは過去の資料をあたり、
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)

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