ということで、保育園に子どもを入れていない専業主婦家庭、そして介護や家事が生活の中心になっている中高年女性を考えれば、NHKのニュースの「やたらと長く見える家事・育児時間」はほぼ専業主婦が多いことの裏返しと思われます。一概に「長すぎる」「無駄が多い」と断定することはできないでしょう。

 
 

しかし、共働きの場合も含めて、海外と比べれば日本の家事時間は確かに長く、そしてそれがほとんど女性に偏っているということ自体は、事実でもあります。家事や生活時間に詳しい品田知美さんらによる『平成の家族と食』という本では、2000年ごろの調査で日本の母親たちは欧米よりも1時間以上、1日当たりの料理にかけている時間が長いというデータを紹介しています。

私も今シンガポールで暮らしていますが、子どものインターで各国の親が子どもに持たせるランチは、生野菜とパンとか、パスタ一品とか(私もだんだんそれに近くなってきました)日本人のお母さんの作る、おかずが所狭しと詰められているお弁当とはかけ離れています。

家事についても日本人が「外部の人を家に入れるのが嫌」「家事代行を頼んでいると近所の人に知られるとサボっていると思われそう」といった理由で外の手を借りない傾向にあり、またその頻度や水準は極めて高いものになりがちです。

品田知美さんの別の書籍、『家事と家族の日常生活─主婦はなぜ暇にならなかったのか』では、日本で明治末期頃から昭和40年代にかけて普及した「ちゃぶ台」が登場する前は、食器は食後に茶を注いで飲み干したり、布でぬぐったりするだけで格納し、「洗う」のは数日に一回だったと述べています。今は1日に何回も洗っているのではないでしょうか。食洗器、乾燥機、自動掃除機など便利な家電は増えていますが、その一方で長い目で見れば、技術が発達するにつれ、実現できる家事の水準が上がり、それにつれてハードルも上がっているわけです。

もちろん、高水準のケアは子供の健康面などに良い影響もあるでしょう。でも、拙著『なぜ共働きも専業もしんどいのか』では、共働きでも時に自分が育った家庭や周囲の専業主婦家庭の基準をあてはめて苦しんでしまう事例や、同調圧力やSNSの影響でどんどんハードルがあがってしまっていく様子も書いています。佐光紀子氏の著書『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』も同様の問題意識で書かれた本で参考になります。

 

ゼロから手作りすることなどにこだわってイライラしながら家事や育児をするくらいなら、適宜手を抜くことで余裕を持ち、ニコニコしていたほうが子供にも好影響という見方もできます。そして、これは別途書きますが、「名もなき家事」も含めた夫婦での分担も、もう少し進んでくれれば、女性の「長すぎる」家事・育児時間問題は解決していくのではないでしょうか。

前回記事「日本人は「やめる練習」と「怒らない練習」が足りていない?」はこちら>>

 
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