小数点以下を記載するとバツにするという件については、有効数字を習っていない段階で有効数字を記載してはいけないという理由のようですが、やはり一般常識では理解できません。「太陽が動く」に至っては、自然科学そのものを否定しかねない事態といってよいでしょう。

 

17世紀、天文学者のガリレオ・ガリレイが宗教的な教えに反して地動説を唱えたことで、宗教裁判にかけられた話はあまりにも有名です。自身が有罪になっても科学的真理を曲げなかったガリレオの姿勢は、自然科学の大切さを示すシンボルとして全世界に語り継がれています。

 

本来であれば、教師というのは児童生徒に対して、ガリレオの話を引き合いに「どんなに圧力を受けても科学的真理は追求しなければならない」と教えるべき立場です。こともあろうに、こうした象徴的な意味すらある「太陽の動き」という問題について、天動説につながりかねない指導を行うというのは、やはり「信じられない」という感想しか出てきません。
これらの奇妙な指導については、ネット上では「どう考えてもおかしい」という声が圧倒的に多く、今回の「定規を使わないと再提出」という話についても、批判的な意見がほとんどなのですが、どういうわけか、実際の教育現場ではこうした指導がなくなりません。

批判的な意見を述べる人は、どちらかというと声の大きい人ですし、ネット上では実害がありませんから、自由に反対意見を表明することができます。しかし、日本の学校において生徒が教師に疑問をぶつけるのは簡単ではありませんし、保護者においてもそれは同じことでしょう。波風を立てたくないといった理由から、そのまま我慢しているケースが多いのではないかと思われます(筆者が小学生の頃、教師のミスを指摘したところ、その教師から目の敵にされ続けた経験があります)。

しかしながら、教師が言った通りに書かないと、科学的真理とは無関係にバツにされるという指導を繰り返し受けていては、子どもの教育にとってマイナスなのは明らかです。このままでは、自分では何も考えられない児童生徒ばかりになってしまうでしょう。

子どもの教育というのは国民全員にとっての共通課題でもありますから、やはり、非常識な指導については何らかの形で声を上げていく必要があると思います。
指導をする側にそれなりの理由があるならば、その意見は真摯に聞くべきですし、その理由が合理的なものであるならば、わたしたちには、それについて理解する努力が必要でしょう。しかし、明確な理由がないまま、奇妙な指導が行われているのだとすれば、やはり社会全体として是正していくべきものと筆者は考えます。
 

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