ミュージシャンはエッセイが上手い!?

 

藤崎彩織(ふじさき・さおり)
1986年大阪府生まれ。四人組バンド「SEKAI NO OWARI」ではピアノを担当。初小説『ふたご』が第158回直木三十五賞の候補になる。ほかの著書に『読書間奏文』。

 

藤崎 私はまだ小説『ふたご』とエッセイ集『読書間奏文』(文藝春秋)の二冊しか本を出した経験がないのですが、書きたいテーマによってフィットする物語のサイズは全然違うんだな、ということが最近ようやくわかってきたところです。『読書間奏文』で初めてエッセイに挑戦したのですが、文字数が少ないからといって簡単に書けるわけではないんだ、ということを思い知って絶望しました(笑)。

「文學界」の連載に書き下ろしを加えた初のエッセイ集。『読書間奏文』藤崎彩織

ただ、自分のことを書くエッセイという形は、ミュージシャンの性質とすごく合っているなと感じています。というのも、自分について語ることは、ミュージシャンにとって普通のことだから。これまでテレビや雑誌のインタビューで、何度も何度も「自分の人生を語る」ことを求められてきました。私はデビューして九年ですが、この九年間は自分の人生について何度も繰り返し聞かれ、考え、答えてきた期間ともいえます。『ふたご』は完成までに五年もかかってしまいましたが、エッセイはずっと自然に書けました。

島本 彩織さんのエッセイを初めて読んだとき、すごく自然にすっと文章が入ってきて、「どうしてこんなに呼吸するように書けるんだろう」と衝撃を受けたのですが、今のお話を聞いて腑に落ちました。それというのも、私にはエッセイってすごく難しいものなんですよ。

小説以外だと、書評や文庫解説は好きなのですが、エッセイってそれらとは全く違う技術が必要なように感じます。今、連載中のエッセイもあるから、こんなことおおっぴらに言っちゃいけないんだけど(笑)、私は基本的に自分のことをあまり書きたくないんです。その思いが強すぎて、つい力んだり、茶化そうとしたりしてどこか過剰になってしまう。

藤崎 すごく意外です。私はお話を作るほうが怖いです。光が見えない感じがして、どこへ向かっているのかわからないまま、ずっと進んでいくような暗さがあるので。まだ小説を一作しか書けていないから、ということも関係しているかもしれませんが、エッセイには最初から走っていけるような感覚がありました。

島本 その暗さが、必ずしも『ふたご』の文体に影響していないところが不思議ですね。暗さどころか、『ふたご』にはある種の軽やかさが感じられる。以前にお話ししたときに、桐野夏生さんや最近の村山由佳さんのような女性の業をディープに書いた小説もお好きだとおっしゃっていましたよね。彩織さんがお好きな小説と、彩織さんが生み出す文章は、違う感覚があるように感じます。

藤崎 それはもしかしたら、自分たちのファンの顔をたくさん見てきたことと関係しているかもしれません。小学生、中学生、高校生の子たちがライヴに来て楽曲やパフォーマンスをどんな風に捉えるのか、私たちのツイッターやインタビューでの発言をどう理解するのか。応援してくれている人たちのそういった感覚を、九年かけて学んできたところがあるんです。彼らがわからないと感じるだろうものは書きたくないな、と直感的に思いますし、だからこそなるべく軽やかに書こうと心がけています。
いち読み手としてなら、一晩中でもドロドロしたものを読んでいられるんですけど(笑)。

 

島本理生(しまもと・りお)
1983年東京都生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。2003年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。2015年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。2018年『ファーストラヴ』で第159回直木三十五賞受賞。『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『七緒のために』『よだかの片想い』『あなたの愛人の名前は』など著書多数。

島本 私の場合は、この『夜 は お し ま い』を書いていたころがまさに、個人的なテーマと読み手に分かる書き方、という二つの間で試行錯誤していた過渡期だったように思います。初めて官能というジャンルにチャレンジした『Red』(中央公論新社)と、直木賞を受賞した『ファーストラヴ』の間に書いたのが、この小説なので。

だから『夜 は お し ま い』の中には、実は『ファーストラヴ』にもあるやり取りと、まったく同じ場面が出てくるんです。悩んだ結果、そこはあえて削らずに残しました。『ファーストラヴ』の場合はなによりも伝えたい主題が読者に届いて、物語として面白くという意識が一番にあったのですが、『夜 は お し ま い』では、主人公がもっと主観的な分、生々しくて輪郭がはっきりしないまま、文章の中にある。同じセリフですが全く状況は異なるものを残しておくことに、何か意味があるかもしれない、と思ったんです。

『夜 は お し ま い』というタイトルは最初、純文誌で小説を書くのはこれが最後、おしまいになるから、という意味を込めていたんです。でも改稿を進めていくうちに、この小説にとっての「おしまい」ってもう少しポジティブな意味でもあるかな、という気もしてきました。これは夜が終わる話、暗いところから少し明るいところへと向かう話なんだ、と見えてきたものがあって。夜が明けていくときのような、暗闇の中で光が見えてくるような感覚でおしまいにするのがちょうどいい気がしたんです。それなら、きっぱりした「おしまい」ではなく、少し余韻を残すような一マス空きの「お し ま い」にしよう、と最終的にこのタイトルになりました。

この小説では主人公たちがまだ混乱と光の両方の中で生きていて、『ファーストラヴ』ではそこに物理的な解決や決着をつけた。その対比や、小説としては共通するテーマを読者が感じ取って、なにか得てくれたらいいかな、と。個人的にもこの流れで良かったな、と思うし、たぶんこれ以上は同じことのくり返しになってしまうので、純文学はこの作品で一区切りが着いたかな、とも思っています。

――特別対談は後編へと続きます。


島本理生さんの新刊『夜 は お し ま い』を試し読み!
スライドしてお読みください。

 

『夜 は お し ま い』
島本理生 著 ¥1400 講談社


性とお金と嘘と愛に塗れたこの世界を、私たちは生きている。
深い闇の果てに光を掴もうとする女性たちの、闘いと解放。直木賞作家の真骨頂!

とにかく、私たちは生き残った。闇夜に潜む蛙に怯えていた子供時代から。
ミスコンで無遠慮に価値をつけられる私。お金のために愛人業をする私。夫とはセックスしたくない私。本当に愛する人とは結ばれない私ーー。
秘密を抱える神父・金井のもとを訪れる四人の女性。逃げ道のない女という性を抉るように描く、島本理生の到達点。

撮影/大坪尚人(講談社)
構成/阿部花恵
 
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