浩宮(天皇陛下)さまも雅子さまも親しんだ日本の物語


「皇太子さま(現在の上皇陛下)がご自分で本棚から出して、お読みになっておられます」

 

『カミサマノオハナシ』を出版したのち、藤田さんはこの本を日本女子大学時代の友人である高木多津雄さんに送りました。それは、
「自分が出版した本をクラスメートにもみせたい」
という軽い気持ちからでした。まるで男のような名前ですが、高木さんは、当時、皇室付きの女官。その高木さんから、皇太子さまのご様子が伝えられたのです。

地方の名もない幼稚園の園長が書いた本を、皇太子さまが読んでいてくださる――。
戦前の皇室と国民との関係からすれば、信じられないような出来事です。驚きと、あまりのもったいなさに藤田さんの胸はいっぱいになりました。

ところがこの破格の出来事は、その後、再びめぐってくるのです。

25年経った昭和40年(1965)7月、藤田さんのもとに一通の手紙が届きました。差出人は、あの高木さんからでした。高木さんはすでに女官を退官していました。

「あなたがお書きになった『カミサマノオハナシ』を皇太子殿下がもう一度お読みになりたいとおっしゃっています。手元にあればすぐにお送りいただきたい。幼児教育の一環として、浩宮さま(現在の天皇陛下)にもお読ませになるご意向なのです」

25年も前のことを、皇太子さまが覚えていてくださる。そして、二度目のお勤めをさせていただける――。藤田さんは、これほど光栄に思ったことはなかったといいます。

藤田さんはさっそく家中を探しましたが、すべての本は戦災にあって焼かれ、一冊も手元に残っていませんでした。考えあぐねた藤田さんは、ふと録音テープがあるのを思い出したのです。以前、藤田さんが病気を患ったときに、自分がいないときに幼稚園の子どもたちに『古事記』の物語を聞かせるために、内容をやさしくわかりやすく直してお話ししたのを録音したテープです。

その録音テープに娘の万里子さんが描いた絵巻物を添えて、高木さんのもとへ送ったのです。日本画をたしなむ万里子さんは『古事記』に登場する神さまの物語を絵にしていて、赤橋幼稚園では万里子さんの絵を見せながら、子どもたちに読み聞かせをしていたのです。

すると、折り返し高木さんから、
「美智子さまと浩宮さまが、熱心に耳を傾けていらっしゃいます」
という手紙が届きました。

その後、藤田さんはどうしても本そのものを浩宮さまにお送りしたいと考え、あちこちの幼稚園の卒業生に問い合わせて、ようやく『カミサマノオハナシ』を手に入れました。それは激しい戦火を潜り抜けた、だいぶ傷んだ本でした。

「これをお贈りしていいものか」
と藤田さんは逡巡しましたが、子どもたちに励まされ、思い切って浩宮さまのもとにお届けしたのです。ちょうど年末のことで、これが浩宮さまへのクリスマスプレゼントとなりました。

さらに時がたち、平成から令和に御代が代わった今年の5月。
カタカナをひらがなに改め、現代の子どもたちに読みやすくなった『かみさまのおはなし』が再版されたのです。

この本には、「須佐之男命(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治」「いなばの白うさぎ」「山幸彦海幸彦」といった、多くの人になじみのあるお話がたくさん出てきます。

 
 

「何人もの口を経て伝承されてきたこれらの話は、日本人の心のふるさと。『古事記』には、科学的な見地から見ればおかしな話もございます。ですが、数千年にわたって、私たち日本人を守り育てて来た話は、そのまま次の世代に伝えなければならないと思います」
藤田さんは、生前、こう話していたといいます。

振り返れば、浩宮さまが上皇陛下や美智子さまと日本の昔話を親しまれたように、雅子さまも子どものころに母の優美子さんから物語を読んで聞かせてもらっていました。
外交官一家として海外で暮らす雅子さんと妹たちのために、優美子さんがもっとも力を注いだのは、「日本」を教えるための努力だったのです。
 
雅子さまの家庭では、毎晩、「朗読の時間」がありました。日本にいる祖母から送ってもらった童話全集を、優美子さんが娘たちに読んで聞かせるのです。
子どもたちは床に車座になって座り、母の朗読に聞き入りました。お話ばかりでなく、雅子さまの家庭では、海外にあってもお正月やひな祭り、七夕などの年中行事を欠かさず行っていたといいます。

子どものころに耳にしたお話は、きっといつまでも心に残ることでしょう。

 

『かみさまのおはなし』
藤田 ミツ (原著) 渡邉 みどり (著) 高木 香織 (著) 講談社


美智子さまが天皇陛下に読み聞かせをした、子どもたちのための『古事記』を復刊。旧作のあじわいはそのままに、現代の仮名づかいで読みやすくなりました。
巻末には、皇室ジャーナリストの渡邉みどり氏が皇室の読書教育について解説した「美智子さまと子どもたちの本棚」を掲載。活字を通して世代から世代へと伝える「読み聞かせ」の力の大きさを、再発見させてくれる本です。

文/高木香織