上に向かうのではなく前に向かう


競争はよく見られるが、正常であるとはいえない。アドラーは、戦争は競争の最たるものだと考える。そして競争は、人間の精神的な健康を最も損ねる。

今の自分よりも優れたいと思い、優れるための努力をすることは健全である。誰もが優れようとするという意味での優越性の追求も、他者と競争しないのであれば、問題なく健全なものとなる。

 

ただし優越性の追求という言葉が、上に向かうイメージを喚起するのであれば問題である。アドラーが、人生は目標に向けての動きであり、「生きることは進化することである」という時、この進化は上ではなく、前に向かっての動きである。人は皆それぞれ出発点をと目標を持っている。その目標に向かって前に進んで行くのだが、その際、ある人は速く、ある人はゆっくり進んで行く。そこに優劣はない。

 

時には立ち止まったり、逆走したりすることがあっても、基本的に前に進んでいるのであれば、それがどんな道であっても、ゆっくり進むことも速く進むこともできる。自分の生き方は独自なものなので、誰かの生き方を真似る必要はないと考えることができれば、自分ではない誰かに「なる」必要はなく、この私で「ある」ことで満足できる。


短所を長所に置き換える


自分に価値があると思えるためには、二つの方法がある。一つは自分の短所を長所に置き換えることである。

たとえば自分には集中力がないと見なす人がいる。だが、実は集中力がないのではなく、あなたには散漫力があるのだと見方を変えることを提案すると、自分を受け入れられるようになる。また、飽きっぽいのではなく、決断力があるというふうに見方を変えることでも同じことが起こる。

カウンセリングで「暗い」自分を何とかしたいと話す人は多い。このような人に私は「あなたはいつも自分の言動が他の人にどう受け止められるかを意識してきた人だと思う。だから、少なくともこれまで故意に人を傷つけたことはないのではないか」という。そして「あなたは自分が暗いというけれども、人を傷つけないでおこうとするあなたは『暗い』のではなく、『優しい』のだ」という。
 
優しいと自分を見られると、そんな自分を受け入れることができる。自分の言動が受け止められるかどうかを気にかけるのは程度問題で、あまり意識しすぎると、いいたいことを言えず、したいこともできないことになり得るのだが、まずは出発点として自分を受け入れることが必要である。


貢献感を持てるようになる


自分に価値があると思えるためにはもう一つの方法がある。アドラーはこういっている。「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけだ」

相手がしたことが有益であることを伝えるために「ありがとう」「助かった」という声をかける。そのようにいわれたら、自分がしたことで貢献したと感じられ、自分に価値があると思うことができる。

さらに、自分に価値があると思えたなら、対人関係の中に入っていく勇気を持つことができるし、その対人関係の中で幸福を感じることができる。対人関係の中でしか幸福を感じられないということの真意は、そのために必要な貢献感は対人関係の中で得ることができるということである。
 
ただし、このような言葉を他の人がいつも自分にかけてくれるとは限らない。だから最終的には、誰からもありがとうといわれなくても貢献感を持てるようになければならない。

問題は、「行動」が共同体にとって有益である時にだけ自分に価値があるのであれば、行動では共同体にとって有益であることができない人はどうなるのかということである。

私は心筋梗塞から生還して以来、入院前にも増して多くの本を書いてきた。たしかに本を書くことで貢献感は持てたが、たとえここまで回復しなかったとしても、私の価値に違いがあるわけではない。

人は生産的であろうとなかろうと、生きていることでそのまま他者に貢献している。子どもには思いもよらないことかもしいないが、親にしてみれば、子どもはありのままで貢献している。病気であろうと、親の理想から遠く隔たっていようと、子どもは子どもであるのだから。

他者が生きていることが喜びと感じられるのであれば、自分についても生きていることがそのまま他の人にとって喜びであり、貢献していると思っていい。自分についてそのように思えた人は、他者にも寛容でいられる。


人間の価値を生産性で見ない


自分の価値を生産性に見ないで、自分の存在がそのままで他者に貢献できると思うのには勇気がいる。だが自分についてそのように思える人は、他者を生産性では見ない。そのような人で構成される共同体であれば、人と競争することもなく、このままの自分に価値があると思えるので、歳を重ね、いろいろなことが若い時のようにできなくなったとしても悠々としていられるだろう。

他者が自分をありのまま受け入れてくれる仲間だと思えれば、そんな仲間の役に立とうと思え、貢献感を持つことができる。そして貢献感を持て、自分に価値があると思えたら、対人関係に入っていく勇気を持て、対人関係の中に入ることができれば、幸福を感じることができるのだ。

岸見一郎
哲学者。1956年生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志す。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。古代哲学やアドラー心理学の執筆、講演活動、また精神科医院などで多くのカウンセリングを行う。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ダイヤモンド社)、新著『哲学人生問答 17歳の特別教室』(講談社)などがある。

 

 

<書籍紹介>
『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』

岸見一郎著 講談社 ¥760

アドラー心理学の第一人者として知られる著者が、アドラー、ソクラテス、プラトン、ソロンなど様々な古代ギリシアの哲人の智恵から、「幸福」について徹底的に追求。私たちはなぜ幸福になれないのか、幸福への道とはどのようなものなのか。そして人生をどう生きるべきなのかを、あらゆる視点から論じた一冊。


文/山本奈緒子

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