で、最終的にたどり着くのが、「こんなヤバい映画作った監督がヤバくない?」(※ライターなのに思わずギャルのようなボキャブラリーに戻ってしまうくらいにこの映画が凄かったと思ってください笑)という思い。

調べると、監督はコメディ映画「ハングオーバー!」のトッド・フィリップスで、その振り幅の広さに驚いてしまいました(余談ですがハリウッドではコメディ映画の監督がシリアスな作品に転向してアカデミー賞を獲るのが最近のトレンドのようです)。

主演のホアキン・フェニックス(左)とトッド・フィリップス監督。映画「ジョーカー」LAプレミアにて。写真:REX/アフロ

凄惨で、地味なおじさんしかほぼ出ていないのに、美しくて、どこか温かみがあるように、私は感じてしまったのです。それはたぶんなのですが、ホアキン自身が、貧しい幼少期に両親が宗教団体に所属し、そのことから兄リバー・フェニックスとともに性的虐待を受けていたとか、リバーがオーバードーズで亡くなったときにも隣にいてその死を看取ったなど、壮絶な体験を生き抜いてきた人間だからなのではないかと。だから、うわべだけの薄っぺらい演技ではなく、めちゃくちゃ深みと厚みがある。

 

ホアキンが演じるアーサー/ジョーカーには、生身の人間の息遣いが感じられる。それが、私が、こんなに暗い映画にも関わらず、どこか温もりを感じた理由なのではないかしら。それはホアキンとフィリップス監督の、人を見る目に暖かさがあるから。

そして人は誰でも(特に私たちアラフォー世代以上ともなれば)多かれ少なかれ、アーサーのような喪失体験を経験しているものなのではないか。それゆえ、悪の道に走るジョーカーに同情はしないものの、アーサーの報われない哀しみや行き場のない憤りには、「わかる」と思ってしまった私。トッド・フィリップス監督の目線も、そんな感じで常にニュートラルに、淡々とアーサーを描いていたため、観る側も過度に感情移入することなく、ひとりの人間としてアーサーをみつめられたような気がします。

ただ、観終わったあとに思いました。「私も、〝向こう側〟の人間だったんだなあ」と。

劇場には20代前後の若い観客が多かったような印象を持ちましたが、先が見えないこの時代に、自分の居場所や存在意義、そして生きづらさを感じているのは、皆同じなのかも。だからこそ、こんなにも多くの人々が「Joker」を観終わったあとに、SNSでこの作品について言及しているのではないかしら。

この映画を、ひとことで語るのは難しい。観た後、無言になってしまう、何とも言えない余韻(だからひとりで観るの、おすすめです)。だけど、そのあと、誰かと感想をシェアしたくなる。

それは、全く説明のないままで終わる矛盾したシーンがいくつかあり、自分なりの解釈を語りたくなること。そして、アーサーのような満たされない承認欲求や闇は、現代社会で誰もが抱えているものだから、というのがいちばん大きな理由な気がします。アラフィフ世代の私の場合も、若い世代のようなSNSでの承認欲求こそないものの、この年齢になり、更年期のホルモンバランスの影響もあるのか、「私って何のために生きてるんだろう?」「今までの人生で一体何を残せたんだろう」「そもそも老後に女ひとりで暮らしていけるのか」などというまるで厨二病のような疑問や将来への不安感が、しょっちゅう浮かび上がって来る今日この頃。きっと同世代の読者の皆様にも、孤独なアーサーの境遇に「わかる」と思える部分があるのではないでしょうか。

「Joker」を観る→誰かと感想を語り合う→あとからネットでググったレビューやトリビアを見て、もう一回観直したくなる(←今ココ)

そんな映画、「Joker」。ちなみに私は今週中にでも、もう一度観に行くつもりです(笑)。好みの別れる内容ではあると思いますが、今年いちばんの話題作であるし、芸術の秋、劇場に足を運んでみてはいかがでしょう。

その際には、皆様の感想コメントも、ぜひ伺いたいです!

前回記事「ジェイソン・モモアと12歳年上妻が「理想のカップル」なワケ。」はこちら>>

 
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