2つ目は、役割的な理由。中期的、長期的に影響が出るところまでケアを担っている人は、「ちゃんと」こなしておかないといけないと思いがち。一方、普段のケア、そして長期的な責任を負っていない人はたまにピンチヒッターを任せられると、場当たり的、あるいはその場しのぎ的な対応をして済ませることもできます。

 

たとえば子どもの髪の毛を一日くらい洗わなくても死にはしない。確かに外出先から帰ってそのまま寝てしまったときなど、やむを得ず洗えない日もあります。でも、そうするとどうなるか。夜中に結局「頭がかゆい」と言って起きてくることもあるし、次の日の朝にシャワーをばたばたと浴びさせることになったらスケジュールがどんどんずれていきます。

 

シラミなどの感染症になれば医者に連れて行かなくてはいけないし、そのために学校を休まないといけないなどの可能性もあります。週1、2回その瞬間だけケアをする人は、週7日、年中そうしているわけにはいかない適当なやり方でも、問題を感じないわけです。

3つ目は、社会学的要因。家庭や幼稚園、メディアなどをで推奨されるふるまいなどが男女で異なり、さらにそれを内面化していくプロセスを、社会学では「ジェンダーの社会化」と言います。「男の子なんだから泣かないの!」「女の子らしくしなさい」といった直接的な声かけもさることながら、もしかしたら育った環境で任されてきたお手伝いの内容、しつけの内容も男女で異なるかもしれません。

たとえば多少だらしないところがあっても、「これくらい仕方ない」と、さほど怒られない男の子と、「これは恥ずかしいよ」と言って、しっかり躾けられる女の子。実際に、ある論文では整理整頓ができていない部屋の写真を見せたあとに、この部屋の持ち主が男性だと言った時と女性だと言った時では人物評価の内容が変わるという結果も出ています。こうした親や社会のバイアスが積もり積もって、男女差がでている可能性もあると思います。

以上、3つの要因を考えてみましたが、こうしたギャップがあることは理解したうえで、それを両方から歩み寄ることができたらいいのかなと思います。自分が経験していないことは相手の言うことに耳を傾けるとか、普段役割が軽いほうが、ピンチヒッターとしてではなく、まとまった期間ケアを担うなど。女性の方も、社会的な「こうではなくてはならない」というプレッシャーはもしかしたら不要なほど、普段の家事が高水準になってしまっている点もあるかもしれません。夫婦の水準合わせをして、肩の力を抜けられるといいと思います。


参考文献:
Sarah Thébaud, Sabino Kornrich, Leah Ruppanner, 2019, Good Housekeeping, Great Expectations: Gender and Housework Norms, Sociological Methods & Research

 

前回記事「低出生率の国が、男性の育休取得に躍起になる理由」はこちら>>

 
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