『なぜ専業も共働きもしんどいのか』で働き盛り世代と既存の社会構造のミスマッチを指摘した中野円佳さんと、自叙伝『孤独の意味も、女であることの味わいも』で自身の苦しい体験を赤裸々に記した三浦瑠麗さん。対談の前編ではお互いの著書の感想から、考え方の共通点などを語りました。後編はその続きから、お二人が当事者として感じている社会の偏見、これからの女性に求められる変化といった話題へと移ります。

 

中野 円佳 1984年生まれ。東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。大企業の財務や経営、厚生労働政策を取材。育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に通い、同研究科に提出した修士論文をもとに2014年9月『「育休世代」のジレンマ』を出版。2015年4月より、株式会社チェンジウェーブを経て、フリージャーナリスト。厚生労働省「働き方の未来2035懇談会」、経済産業省「競争戦略としてのダイバーシティ経営(ダイバーシティ2.0)の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員を務めた。現在シンガポール在住、2児の母。女性のスピークアップを支援するカエルチカラ言語化塾、海外で子育てとキャリアを模索する海外×キャリア×ママサロンを運営。東京大学大学院教育学研究科博士課程。近著に『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造』。

三浦瑠麗 1980年、神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、山猫総合研究所代表取締役。著書に、博士論文を元にした『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)。第18回正論新風賞受賞。『孤独の意味も、女であることの味わいも』は初の自伝的作品。ブログ:山猫日記) メールマガジン:三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」


苦しくもがいている時は、周囲を傷つけても気付かない


――ここ数年、みずから声を上げる女性が増えたことに比例して、「フェミニズム」「フェミニスト」といった言葉も急激に浸透しました。これまでのフェミニズムと現在を比べると、今の三浦さんや中野さんの姿勢はとても軽やかだなと感じます。とくに、ご自身がどの立場をとるか、といったことにはかなり“あっけらかん”としているというか。それについてご自身はどう感じていますか?

三浦 私と中野さんはミレニアル世代ですね。世代的なものってきっとあると思うし、少なくとも上の世代の実感と異なる部分については自分から打ち出していくべきとは思っています。ただ今回の本では、年上の方からもすごく反響があったんです。例えば60代の女性から「考えてきたことを言葉にしてくれた」とか。

中野 世代を超えた共通のものがあるんですね。

三浦 だとしたら考えてきたことは同じだったのかな、という気もするし、私自身が上の世代の考え方をまだ掴めていないところもあるのかなと。ただ私としては既存のフェミニズムの議論と意識的に違う考え方をしている部分があって、それは因果関係の推定を早々にやらない、ということ。「レイプされたからこういう性格になった」「いじめられていたから孤独を覚えた」とは安直に言わないようにしています。

中野 だから性被害のことも、あのようにフラットな書き方ができたんでしょうね。

三浦 そうかもしれませんね。自分の母親についても、フラットに見ている気がします。これまでのフェミニズムは、自分の母親たちの世代に対してものすごく残酷な切り方をすることがありましたよね。自分が苦しくもがいている時は、周囲をどれだけ傷つけても気がつかないんですよ。上の世代の方たちと比べて、私たちの世代が恵まれている事実は当然あると思います。傷つくことも少なくなっているのかもしれない。だからそう言えるんだと言われてしまうかもしれないけれど、「これまで私たちは傷つき血を流してきたのだ」と表明する過程で、「誰かを傷つけても構わない」といった考えに至ってしまうのは違うと思っています。


フェミニストかどうかなんて「場合による」としか言えない


中野 私は最初の本の元になった論文は社会学者の上野千鶴子さんのゼミで書いたのですが、そもそも私自身が“右か左か”といった考え方をしないこともあって、彼女が世の中でフェミニストとしてどう見られているかをあまり気にしていなかったんですよね。なので本の帯にのせる推薦コメントを上野さんからもらったのも「自分の指導教官だし、論文を書く際も有益なアドバイスをたくさんいただいたし」というごく単純な理由だったのですが、いざ本が発売されると、割と中立的な立場だと思っていた人から「左(派)の本だから読まない」といった反応が届いて、とても驚いたんです。

 

三浦 あら、そこで初めて気付いたわけですか(笑)。

中野 お恥ずかしながら、そこまで世の中が右か左かで分断しているとは認識していませんでした。ただその時も思ったし今でも思うのは、自分がフェミニストかどうかって、場合によるとしか言いようがない、ということなんですよね。フェミニストの方が言っている意見だからと100%賛同することはないし、もっともな意見だと思えば、誰の意見であろうとリツイートもするし紹介もする。

三浦 そうですよね。

中野 悪く言えば「どっちつかず」なのだけど、でもそれが「軽やか」に見えるのかもしれません。もともとフェミニズムは、思想としてみても“弱い人を保護しよう”とする姿勢が強くて、いわゆる勝ち組といわれる女性たちに対しては無視したり、むしろ批判的な態度をとったりする傾向があります。強い女性を保護することは「すでにある女女格差を広げる行為だ」と。でも私は、“女性学”と名乗るのであればそのどちらも対象にすべきだと思うし、これは実際に学会などでも言ってきました。論文を通して上野さんにも直接伝えましたし、伝わったと思います。「そこに目を向けてこなかったのは女性学にも反省がある」と言ってくださいました。

三浦 あら、それは素敵ですね。

中野 私の著書が出る前後で上野さんもご自身の著書で書かれています。「今までのフェミニズムは、勝ち組の総合職女性に厳しすぎた。そこは反省するところだ」と。その点で言うと、これまでのフェミニズムはちょっと言葉が強すぎるのかな、とは思いますね。必ずしも強い女性が弱い女性を踏みつけてのし上がっているわけではないし、それをいったら強い女性にだってしんどい部分はありますから。

 
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