ところが、家族、友人にそのようなネットワークがない場合、例えば元夫の暴力から逃げる場合などはどうか。上間さんの描いた世界と近いように感じられるものの、より社会支援の無さを浮き彫りにしているのが坂爪真吾さんの『性風俗シングルマザー』だったように思います。『〈ヤンチャな子ら〉…』は少年たちが青年になっていく過程で社会資本が得られないと法的にグレーな仕事に手を染めていってしまう雰囲気も醸し出しますが、女性の場合はこれが性風俗になっていくということなのかもしれません。

 

夫から養育費をもらわずに自活するにはできるだけ高い時給がいい、託児所付きの職場が他にないといった理由でデリヘルに行き着く……。坂爪さんの書籍を読むと、対象の地方都市においてはいかに性風俗が(ある意味での)働き手側のニーズを満たしているかのように見え、行政などが提供できていない資源を補ってくれてしまっているかを感じざるをえません。しかし、当然ながらリスクも大きい。

また、坂爪さんの本を読んで、上間さんの書籍に出てくる女性たちと共通して感じるのは、シングルマザーたちができるだけ子どもとの時間を確保し、よいお母さんであろうとしている実態でもあります。自分が頑張ればいいと他を頼ることをしない彼女たちは責任感に溢れ、献身的です。

昨年、シングルマザーの交際相手や再婚相手が子どもを虐待したニュースが流れたときに、どう考えても一番に悪いのは犯人であるにもかかわらず、「母親が恋愛するのが悪い」と母親を責める批判がネット上に多く出ていました。シングルマザーやシングルファザーからも「自分は一人で踏ん張っている」という声があがっているのを見ました。

決してこの人の責任ではないということに関して、しかもそうされてしまうと苦しい側の立場の人からも自己責任論が出てきてしまうことは、弱い立場の人をさらに追い込むものになると思います。助けを求めてしかるべき状況の人が人を頼れないということは、本人のみならず子どもたちの困窮、虐待等の連鎖にもつながります。そうならないためにも行政の取り組みや発信を十分にしていくことが必要だと感じます。

前回記事「冬休み明けに考える「家族との距離感」」はこちら>>

 
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