物語では、お互いの顔が見えず、匿名の状態で意見交換できるという異性化体質の人限定のバスツアーに晶が参加するエピソードがあります。そこで晶はバスの運転手との会話を通して、「自分がどうしたいか?」について考えることの大切さに気づきます。


個人差を受け入れると“こうあるべき”から解放される


「まず自分がどうしたいかというのは、自己中心的に聞こえなくもありません。でも、人のことばかり先に考えたり、自分がこういう人、こういう立場だからと掲げてしまったりするからつらさを感じるのかなと。一回立ち戻って、自分がどうしたいのかを考えてみる。それだけでもなにかが違ってくるんじゃないでしょうか。まぁ私も自分のことをそんなにわかっていないんですけど……」

 

そうは言いつつも、今の日本はつい空気を読んだり、人の目が気になったりしてしまう、息苦しい社会でもあります。だからこそ、誰でも少数派であるということへの気づきや、“こうあるべき”という空気よりも自分に立ち戻ってみることの大切さを示唆してくれる、『個人差あり〼』というタイトルの奥深さが際立ってきます。

「健康食品や化粧品の宣伝で、小さく『※効果には個人差があります』なんて書かれていて、その一言を添えておけばすべて片付いてしまうようなマイナスイメージがあるんですけど、よく考えてみたらそりゃそうだろう、と。だって受け取る個体が違えば、現れる効果も違うはず。人に置き換えてみても同じはずなのに、なぜか人だと個人差が尊重されず、意識もされていないような気がするんです」

物語の中でも、異性化はセックスでリバースする(もとの性に戻る)と言われているものの、人と場合によっては必ずしもそうではなく、まさにここにも個人差が現れています。

「現実世界でもみんながもう少し、“個人差あります”という目を持てたら、それぞれの“個人”を尊重できるんじゃないかと思います。この作品についても、『なんであの人はこうなのに』とか『こうであるはず』などと決めつけそうになったら、この作品のタイトルに立ち返ってもらえたらいいなという思いはあります」

 


「夫婦こそ 一周回って究極の男女の友情なのでは…?」


女性になったことで多くの気づきを得ることができ、気まずかった苑子との関係もいい方向に変化していく晶。しかし、晶が女性から男性に戻った“きっかけ”に気づいてしまった苑子はショックを受け、家を飛び出します。苑子は担当編集者に誘われて参加したパーティーで一人の女装男子に出会い、彼との交流を通じて、自分もいろんなことを決めつけてがんじがらめになっていたことに気づきます。それと同時に、晶が男でも女でも、愛する気持ちは変わっていないことも再認識します。晶と苑子、そして周りの人たちはどのように進むべき道を見出していくのでしょうか?

「いろんな登場人物や悩みが出て話が広がってはいますが、私はこの作品を、夫婦という最小単位の人間関係の話だと思って描いています。『喰う寝るふたり 住むふたり』の長い同棲を経た二人が結婚する時には、『夫婦こそ 一周回って究極の男女の友情なのでは…?』と描いたのですが、夫婦って友達でも恋愛でもない、特殊なつながりのような気がしているんです」

人は生きていく過程でさまざまな役割を背負い、それを演じているうちに疲弊し、大切なことが見えなくなっていきがちです。『個人差あり〼』を読み、登場人物たちの思考の過程や行動をなぞるうちに、読み手自身も自分の内面にも目を向けたくなっていくはずです。“個人差あり〼”という言葉は、他者との差異を表すものではなく、生き方を少し軽くしてくれるフレーズなのかもしれません。
 

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『個人差あり〼』

著者  日暮 キノコ 講談社

どこにでもいるような、何の変哲もない、ただの夫婦のはずだった。ある日、夫に「異変」が起こるまでは……。家族をテーマに次々と作品を発表してきた日暮キノコが挑むのは、夫婦の中の「男と女」。空前絶後の衝撃作。
 

取材・文/吉川明子
 
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