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「結果」だけを求められた雅子さまの喪失感……病に批判が集まった理由

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生きる意味を見失ってしまった雅子さま

 

ご療養中、12年ぶりに秋の園遊会にご出席された雅子さま。当初は式典のみの予定だったにも関わらず、招待客と笑顔で約10分ほど懇談後、退出されました。2015年11月12日、東京・元赤坂の赤坂御苑にて。写真/AP・アフロ

ここで、やっと斎藤環さんだ。2008年(平成20年)、「文藝春秋」誌上に2度、登場した。「引き裂かれる平成皇室」(4月号)座談会と、寄稿「医師の病状説明が雅子妃を守る」(8月号)だった。私は両方を読み、雅子さまの病を理解し、共感した。

 

斎藤さんは、雅子さまは「ディスチミア(気分変調)親和型うつ病」に近いと判断していた。だが、私にとっては病名よりも、雅子さまの病状の「意味」を語ってくれたことの方が大きかった。病気の特徴から背景、「私的外出」のこと、皇太子さまの態度、その説明のすべてが腑に落ちた。私なりにまとめてみる。

まず、斎藤さんは雅子さまの病を「新しいタイプのうつ」とはっきり言ってくれた。「医師団」の文書には、このような大きな位置づけがないからわからないのだ、とこれでわかった。

旧来のうつ病(メランコリー親和型うつ病)は責任感に押しつぶされたまじめな人に多い。生き延びるためにがんばりすぎて潰れる「生存」のうつだ。これに対し、新しいタイプは「実存」のうつだと斎藤さんは言う。
「生存」と「実存」。一見、わかりにくいが、斎藤さんの補足説明でよくわかった。生きていけるのは当たり前。むしろ飽食の世の中で、自分が生きることの価値を見失ったときに苦しみが始まるのが、「実存のうつ」だ、と。

1960年代生まれの人のうつでは新しいタイプが主流で、特に職場のメンタルヘルス問題などはこればかりという斎藤さんの「臨床での印象」は、私の「職場での実感」とピッタリ重なるものだった。すぐ近くに座っていて、ある日から休職していった彼ら彼女らは、「自分が働く意味」を求めて苦しんでいたのだな、と合点がいった。

また斎藤さんは、会社は休んでいるのにスポーツクラブに行ける人の例をあげ、仕事には行けないが私的活動では元気な人が多いのも特徴、と言っていた。こういう人も職場で何人も見てきた。

「一見わがままに見え、理解が得にくい。その意味で、不幸な病」。斎藤さんのこのような説明を、東宮職医師団は一度もしていない。
斎藤さんは、雅子さまを「皇室の中で自分の生きる意味を見失ってしまったのではないだろうか」ととらえていた。そして幼少時から、海外、日本としばしば変わる「環境」に適応し、学業でも職業でも自己目標を達成してきた雅子さまがダメだったのだから、やはり皇室という「環境」が最大の病因だろうとしていた。したがって環境を変えず治療するのは「マラソンをしながら捻挫を治す」ようなもので、それほど困難なのだと説明していた。
 

 

ルクセンブルクの皇族の結婚式に出席される皇太子さまをお見送りに。雅子さまもご招待されたものの、体調を考慮されご欠席されました。2012年10月18日、東宮御所にて。写真/AP・アフロ

雅子さまの大変さがよくわかり、「実存」という言葉が響いた。組織に生きる人間だからだ。
自己責任でマーケット至上主義の時代になった。求められるのは「効率よく結果を出す」ことだから、仕事の喜びは「結果」だけになってしまう。だが「結果」だけで楽しいだろうか。「結果」ではない、働く喜びってもっとあるはず。それって何? ぐるぐる思考が回る。自分ならではの働きがい。それが見つからないとしたら? 喪失感という言葉が浮かび、雅子さまと重なる。
こんなに今日的な問題なのに、誰にも思い当たることなのに、医師団からそういう視点がもたらされない。

続きは著書『美智子さまという奇跡』にて。

 

<書籍紹介>
『美智子さまという奇跡』

矢部 万紀子 著 幻冬舎 820円(税抜)

初の民間出身の皇后となった美智子さま。皇太子妃になられたときにはミッチーブームが起き、即位後も被災地や戦後の跡地を訪れるなど、国民に寄り添い、平和を願う姿は多くに人々の支持を集めました。令和の時代になり、雅子さまの病や眞子さまの結婚問題など、一般家庭と変わらない悩みを抱えている皇室。皇室の存在そのものが「特別な存在」から、今後どうなっていくのか?皇室報道に長く携わった著者による皇室論。

矢部万紀子
1961年三重県生まれ。コラムニスト。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。94年、95年、「週刊朝日」で担当したコラムをまとめた松本人志『遺書』『松本』(ともに朝日新聞出版)がミリオンセラーになる。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理をつとめたのち、書籍編集部で部長をつとめ、2011年、朝日新聞社を退社。シニア女性誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)がある。3月26日に新刊『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(幻冬舎)が発売予定。

本文、キャプションは過去の資料をあたり、
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)

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