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皇后・雅子さまが流された2度の涙の理由と伝えるべきメッセージ

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適応障害を抱えながら儀式への参加


適応障害をお持ちの雅子さまは、それまで公式行事を欠席されることも多くありました。即位の一連の儀式にも、天皇陛下とご一緒できるか心配する向きもあったのです。

 

「饗宴の儀」での雅子さまの気品あふれる美しさに世界中から注目が集まりました。2019年10月22日、皇居・宮殿にて。写真/REX/アフロ

「すべてやり遂げることができたのは、なんといってもご自身の努力によるものです。普通、皇室の方々は行事に合わせて数日前から体を調整されます。ところが、適応障害は自分で自分をコントロールできなくなる病なのです。ご自分が行きたい気持ちはあっても、体がついていかない。直前まで行けるかどうか、ご自分にも分からないのです。
突然ホットフラッシュになったり、起き上がれなくなったり、体が動かなくなったりするという症状が出るのが、適応障害の特徴なのです。

 

皇太子妃時代には、当日の朝になって急に地方へのお出かけを取りやめるなど、かなり現地の人たちに驚かれるような局面もありました。けれども、病気のために自分で自分をコントロールすることができないのです。
もし雅子さまが行くと発表したのにドタキャンになると、結果的には雅子さまが批判にさらされることになってしまいます。そのため、東宮職の人たちはぎりぎりまで行くかどうか発表を控えていました。

まわりも『雅子さまの適応障害とはどういう病気なのか』ということを必ずしも把握できていなかったのです。あるいは、担当医師やご本人の口からきちんと国民に説明していたら、理解も深まったかもしれません。ただ、心の病といったナイーブな問題をオープンに話せる雰囲気は当時も今もあまりないような気がします」
 

雅子さまが流された涙の理由と意味


適応障害という病を抱えながら臨まれた一連の行事などの中で、雅子さまは何度か涙をお見せになりました。

 

即位パレード(祝賀御列の儀)では笑顔で手を振られて。写真/JMPA・講談社

「雅子さまは、一連の行事で2回涙を流されました。一度目は11月9日、皇居前広場で行われた天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典、二度目は翌10日に行われた即位礼祝賀御列の儀(パレード)の時です。
東宮妃時代は地方訪問時に、皇太子さま(現天皇陛下)が単独で行かれたケースが多かった。にもかかわらず多くの国民があたたかく皇后として迎え入れてくれた、といったさまざまな思いが思わず涙となって出てきたのでしょう。涙は雅子さまの国民への感謝の表現だったのです。公の場で涙を見せる皇族は、寡聞にして知りません。
雅子さまは、とても素直に自分の感情を表せる方です。そして、それが雅子さまの良さだと私は思います」

雅子さまが目頭を押さえるのを見て、国民の多くは「雅子さまはこれまでどれほど大変だったのだろう、元気な姿でお出ましになれて本当によかった」と感じました。

「むしろ、雅子さまのように自分の感情を素直に表すことが、今風で、令和の時代にふさわしいのではないでしょうか。
今まで、女性は男社会の中でなかなか認めてもらえなかった時代が長くありましたし、現にまだあると思います。そんな中で我慢しながら生きているのです。陰で人知れず涙を流された方も多いのではないでしょうか。でも、これからはご自身の喜怒哀楽はそのまま我慢しないで出していいんだよ、雅子さまの涙は、そういうメッセージが込められていたのではないでしょうか」
 

●聞き手
高木香織(たかぎ・かおり)

出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に、『愛のダイアナ』( 講談社)、『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』( ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』(講談社)、 カレンダー『永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、 『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。

本文、キャプションは過去の資料をあたり、
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
撮影/山本遼(大久保さん・講談社)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)

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