『騎士竜戦隊リュウソウジャー』のバンバ/リュウソウブラック 役で全国に「バンバ民」なるファンを生んだ岸田タツヤさん。1年という長丁場を無事に走り終え、充実した表情を浮かべます。現在27歳。戦隊ヒーローの中では年上キャラの「タツ兄」。その素顔に迫ります。

*こちらは「2020年人気インタビュー20選」です。元記事は2020年3月30日に配信しました。

 

岸田タツヤ
1992年4月16日生まれ、東京都出身。身長182㎝。17歳で俳優デビュー後、広告モデル、CM、ドラマ、舞台、映画等で活動する。 2019年、特撮ドラマ『騎士竜戦隊リュウソウジャー』でバンバ/リュウソウブラック (声) 役として初のレギュラー出演。今後はレギュラー出演していたドラマ『今日から俺は!!』の映画版に出演が決まっている。現在はゴルフの腕前を生かし、ゴルフ雑誌などにも登場。特技はマイケル・ジャクソンのダンス。趣味はサッカー、スキー、音楽鑑賞。公式ブログ:http://ameblo.jp/kishida-tatsuya 公式ツイッター:@kishidatatsuya_

岸田タツヤさんのインタビューアザーカットはこちら>>

 


バンバを脱がせた張本人は?


「クランクアップのときは絶対泣かないつもりだったんですよ。終わりかけのころからレッド役の一ノ瀬(颯)はずっとウルウル来てて。『オールアップです!』ってなった瞬間、ブルー役の綱(啓永)とかも一気に泣きはじめて。その中で僕はずっと耐えていたんですけどね、お世話になったカメラマンの方がもうすでに次の『魔進戦隊キラメイジャー』の撮影に入っていたはずなのに、この日だけわざわざ駆けつけてくれてくれたんですよ。しかも、僕がプレゼントした帽子をかぶって。その姿を見た瞬間、一気に涙が出ました(照)」

全48話の中で自身のブレイクポイントとして挙げたのが、第17話。寡黙で無愛想なバンバが初めて笑った回でした。

「プロデューサーの丸山(真哉)さんからは『俺を信じて笑うな。そしたら必ず笑ったときに意味が生まれるから』と言われ続けてきて。僕もその言葉を信じて、ずっとにやりともせず、ふざけもせずやってきたんですけど、その中で育ててきたバンバのキャラクターが爆発したのが17話。視聴者のみなさんからも反響があってうれしかったです」

終盤は、華麗な肉体美を披露する場面も多かった岸田さん。実はそれは監督の坂本浩一さんによるアイデアだったのだとか。

 

「坂本さんはふざけるのが好きな方で。自分の担当回で『バンバを脱がしたい』って言い出したんです。で、脱いだはいいものの、その次の回も日がつながっているから脱いだままにしておかなくちゃいけなくて。次の回の監督の上堀内(佳寿也)さんが『どうするんですか?』って聞いたら、坂本さんが『記念だから』って答えたそうです(笑)。本当、ひどい話ですよね。しかも坂本さんは『岸田くんが脱ぎたいって言ったんだよね』って言ってるらしいですけど大嘘ですからね! 脱がせたのは、坂本さんです(笑)」
 

 

3年間の役者休業。そこで知った、トップを走る人間のすごさ

 

岸田さんの俳優デビューは2009年。17歳でキャリアをスタートさせ、『サムライ・ハイスクール』など主に学園ドラマの生徒役として出演作を重ねていきます。ただ、もともと役者志望だったわけではなく、当時は「何となく続けていた」のだそう。

役者という仕事の面白さに目覚めたのは、2011年に出演した舞台『隠蔽捜査』&『果断・隠蔽捜査2』。主演の上川隆也さんをはじめ、錚々たるベテランの役者たちに囲まれて、初めて自分の甘さを知りました。

「当時、僕は役者としての技術なんてまったくなくて。その自覚もないまま、毎日ふわっと稽古場に通って、ふわっと帰るだけだったんです。そしたら稽古が始まって2〜3週間経ったときに、共演の本郷弦さんという無名塾出身の方から『ちょっとマズいんじゃない?』って声をかけられて。そこで初めて自分がずっと放置されていたことに気づいたんです」

稽古場とは決して演技を学びに来る場ではありません。実力を備えたプロの役者たちが、芝居をぶつけ合い、作品をより良く育てていく場所です。その資格がない者はただ置いていかれるだけ。初めて知ったプロの厳しさ。そこから共演の本郷さんの指導を受け、正しい腹式呼吸の方法など、プロの技術を1から学び直していきました。

「上川さんなんて、いつもひとりだけ3時間前に劇場入りして、ランニングをして、筋トレをされるんです。その姿を見て、プロの役者の姿勢というものを知ったし、もっと本気で役者を続けたいと思った。間違いなく自分の人生が変わった舞台。事務所の社長からも千秋楽のときに『顔が変わった。男になったね』って言われました」

 

2015年頃より一時休業。役者業を休んでいる間には、趣味だったゴルフに力を入れ、一時期は本気でプロを目指していたと言います。まったくの畑違いの世界で学んだことは、トップを走る人間のすごさでした。

「毎日球を1000球打って、少しずつできることが増えていくと、改めて石川遼選手の何がすごいか身にしみてわかるようになってくるんです。人をすごいと思うことって実は危険なことで。自分とその人の間に本当はいくつもの見えないフィルターがあるはずなのに、技術も何も知らないままただ憧れていると、そのすごい人をなんだか身近に思えてしまうことがある。すごい人の何がすごいかを理解することで、自分自身の力量とかポジションもわかるようになったのは、ゴルフを真剣にやったからでした」

他人から見れば回り道かもしれません。けれど、その中で少しずつ人間性を磨いていった岸田さんは、再び役者という頂を登る決意を固めました。

「結局、役者って誰からも必要とされなければ仕事にならない、『待ち』の時間が多い職業なんです。昔はそれがすごくストレスだった。でも、人生経験も増えた今なら、『待ち』の時間に自分から発信することもできる。だったら、昔よりもっとやれることもあるんじゃないかと思って、役者の仕事を再開しました」

 
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