一生かかっても使い切れないほどのお金を溜め込んでも、ウイルスから逃げきれる人はいないし、壊れてしまった社会では、自分だけがお金を持っていても生活は回らない。では予想外の危機に強く、持続可能な社会を作るには何にお金を使い、どんな豊かさを追求すればいいのか。私たち親世代の若い頃は、豊かさの象徴は所有することだったけれど、それはもう違う。これからはいかにシェアして、相互に豊かになるかが課題なんだよ、と話しています。

 

お金は自分が自由になるために必要なものです。それこそ危機を察知したときに素早く対策を打ったり、身を守るためにじっとして命をつなぐために必要不可欠なものです。でもそれ以上に溜め込んでも、体は一つ、命は限られた時間しかありませんから、使い切れません。ただの数字に過ぎないのです。それならそのお金を、自分には解決することのできない問題に取り組んでいる人たちを支えたり、貧困に陥る人を減らして社会の健全性を高めることに使えば、結果として自分の生きる世界が安全になります。

今回、ビル・ゲイツが以前からパンデミックに警鐘を鳴らしていたことや、コロナウイルスのワクチン開発に自らの財団から莫大な資金を提供したことが注目されていますが、富を還元するとはそのようなことです。優れた判断を下して人々の命に関わるような取り組みを進める能力があるから、その人のもとにお金が集まったのだと思えるような使い方をすることが重要なのです。

だからね、君たちが小さい頃に「お金持ちになったらランボルギーニやフェラーリに乗りたいなあ」というたびに私が「ランボルギーニも普通の車も、法律を守って目的地まで安全にたどり着くということは何も変わらないよ。その差額の何千万円かで、一体何人の命が救えるか考えてみるといいね」 と言っては不評を買っていたのを思い出して。本当にそうなんだよ。それは何千万でなくても、1万円でも千円でも同じことで、それを何に使えば結果として自分が住む世界が安全で豊かになるかを考えることはとても大事なんだ・・・。

人は絶対に一人では生きていけず、いやでも他の人の暮らしと地続きです。それは今回のコロナ危機でよくわかったでしょう。いくら自分のところだけ消毒して籠城しても、社会からウイルスが消えない限り安全ではありません。それはすなわち、最も感染しやすい生活をしている人たちを守れなければ自分も守れないということです。日本で盛んに言われている「休業要請と補償はセット」というのはまさにそうで、補償がなければ人々はお金を手に入れるために外に出てしまい、感染拡大は終息しません。ニューヨークでは黒人やヒスパニック系の患者が多く、重症化もしやすいと報じられていますが、これも外に出て働かねば生活できず、元々の健康状態が良くない人たちが犠牲になっていることの表れです。ああ自分はそうでなくてよかった、と安心するのは見当違いで、その人たちを放置すればまた同じことが起き、自分も感染や医療崩壊のリスクにさらされるのです。

世界はつながっており、人と自然も切り離せません。コロナ危機によって経済活動が一時停止したら、スモッグで曇っていたインドの空が澄んでヒマラヤが見えるようになり、世界各都市の大気汚染が改善したとニュースでも見たでしょう。世界中の都会に鳥の声が戻ってきたことも話題です。これはウイルス危機を通じて学ぶべき最大のことかもしれません。つまり環境に負荷をかけないで暮らす方法を今全力で考えれば、失われつつある自然が蘇る可能性もあると示唆しているのだと。むしろそれなしでは持続可能な未来はないことを思い知らされたとも言えます。昨年のグレタ・トゥーンベリさんのメッセージと今の状況とはつながっています。パンデミックは、来るべき気候危機による全世界的な想定外の出来事への備えを固めるべくもたらされたものと捉えるべきかもしれません。そんな視点で世界の出来事を考えることも大事だよと息子たちには話しました。

真面目な話なんて、聞いてくれないかもと思わないで。子どもたちは肌身で不安や異変を感じています。ほんとにわかっているのかな?という反応でも、この特殊な時期の記憶はきっと深いところに残るでしょう。
生きる喜びとは何か、豊かさとは何か、お金は何のために必要か、大切な人は誰か。大人が自問していることを、ぜひお子さんともシェアしてみてください。きっとかけがえのない親子の思い出になるでしょう。それを新しい世界で懐かしく振り返る日を楽しみにして、今日を生き抜きましょう!


性は欲望と直結。だからこそ思春期は「想像力」を育むべき【小島慶子さん】>>>

 

 
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