災害時に、電車通学の子供たちを守れるか?

 

教育と子供にしっかりと目を向けている豊岡市。新型コロナウイルスへの警戒から全国的に学校が休校するなか、市内に感染者が確認されていないこと、また自宅待機の長期化に伴う子どもたちの心身への影響を考慮した上で、3月16日には学校を一時再開するといった独自の対応をとっています(※その後、4月7日の政府による緊急事態宣言発出をうけ再休校)。

 

「豊岡市の場合は、学校を再開したほうが低リスクであることを、多くの人がわかっているので再開できた。もちろん反対の意見もあるけど、とことん関係者で協議したうえでの決定です。でも、それが出来たのは子供の人数が少ないから。生徒数が少ないから、教室に入れてもきちんと距離が取れる。でも、中学生どころか小学生も電車で通学する東京ではまず不可能でしょう? 本では災害を例にしていますが、もしも東京で、地元から離れた都心の学校に通う子供たちの登下校時に災害が発生したとしたら、誰がどこの子かが誰にもわからないために大パニックになってしまうでしょう。

今回のコロナでいうと、都心の学校に通う子と地元の学校に通う子では感染リスクにバラつきがあり、適切な対策もそれぞれ違ってくる。その対応を学校や自治体だけに任せることは難しく、そのせいで学校を閉じるしか手がなくなってしまった、といった話も実際に行政の現場から聞いています。今のままでは家庭教師をつけたり塾のオンライン講習を受けたりできる家が圧倒的に有利になりますから、学校閉鎖が長期化すればするほど、教育格差も広がってしまうでしょうね」

命の次に大切なものは一人ひとり違う
 

いまのところ、新型コロナウィルスをめぐる混乱が収束しそうな気配はありません。こうした状況だからこそ、我々はなにを心掛けて生きていけばいいのでしょうか。

「他者に寛容になるということですね。今回のコロナの問題で言うと、みんな命が大事なのは決まっている。ただし、命の次に大事なものはひとりひとり違う、ということです。演劇で救われる人もいれば、音楽で心を慰められる人もいる。当然、子供が大事だって人もいるし、自分の家には年寄りがいるという人もいて、そうした相手の行動を全否定しない、ということです。なぜ、相手がそうしたのか、そうしたかったのか、そうせざるをえなかったかを理解する。コンテクストを把握することがいちばん大事で、今後はそういった社会に少しでも近づけばいいなと思いますね」

 

 

 

<書籍紹介>
『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」』

平田 オリザ (著) 講談社 ¥860(税別)

今の子どもたちの文章読解能力は本当に「危機的」なのか? 英語教育改革が目指す「ネイティブ並みの発音」は本当に必要か? 混迷を極めた共通テストの真の問題点とは……? 先行き不透明なこの時代に、子どもたちが将来どんな職業につくかなどわからない。だからこそ、生きていくために本当に必要な能力とは何なのか。時代の変化に揺らぐことのない教育の「本質」を探る。  

撮影/塚田亮平
取材・文/平田裕介
構成/山崎 恵

 

インタビュー前編「【平田オリザさん】コロナ禍で浮かび上がった「東京一極集中」問題の深刻さ」はこちら>>

 
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