【小島慶子】コロナ後のファッション。私たちは何をどう着るのか_img0
 

ファッションは武装でもあります。仕事に出かける服やメイクを決める時に、軽んじられてはいけない、と守りを固める心理が働くこと、ありませんか。あるいは、見た目でマウント取らないとな、って戦闘態勢になることもあるでしょう。まあそれも、心地よい緊張感があって悪くはないけれど、そうじゃない楽しみ方があってもいいですよね。今回のテレワーク革命で、新たなおしゃれのお題をもらったんじゃないかなという気がしています。

医師をしている友人が言っていたのですが、オンライン診療では正確な診断をするのは非常に難しいのだそうです。医師は患者と言葉を交わしながら、顔色や息遣いや仕草などから、その人の状態を非言語ベースで読み取って総合的に診断しているのですね。画面では、それはわからない。だから誤診の可能性があるのだと。

てことは、オンライン会議も同じです。限られた情報で意思疎通をしなくてはならないので、上半身前面だけのお洒落の土俵で細かい勝負を仕掛けてもあまり伝わらない。それより、表情をはっきりと豊かに表すことが重要かもしれません。

SNSの隆盛で、みんな加工された私生活を公開したりそれを眺めたりするのに慣れっこになってしまいました。だから今このテレワーク革命で、加工されていない、つまりリアリティショーでもなければインスタ盛りでもないデジタル映像にホッとするのかもしれません。“見せるため”ではない画像や映像が、ようやく日常になろうとしているのではないかな。

好きな装いをして、機嫌よく映っている人は素敵です。これまで散々、おしゃれは「自分が心地よくあるために」って言われてきたけど、それでも“見られる”ことから自由にはなれませんでした。でも、ついに“ほとんど見えていない”時代が到来したのです!下半身は映らず、後ろ姿も、歩いているところも、メイクのノリも、アイラインの目尻の跳ね上げ具合も、全世界に5Gが普及するまでは毛穴や白髪の染めむらも、映りはしません。それでも着たい服、したいメイクって、きっと本当に自分が心地よくて、好きなものなんじゃないかと思います。

部屋着じゃない、仕事服でもない、自分の部屋で過ごす時間に心地よくてちょっと素敵な服って、私はまだ真剣に考えたことがなかったかも。メイクも一人でいるとついつい放置状態のスッピンになりがちだけど、同じノーメイクでも、オンラインで社会との接点ができると手入れに張り合いが出ます。本当に、人は人と繋がることで生かされているんですね。

今回改めて、自分の暮らしが様々な人の労働によって成り立っていることを実感しました。エシカルな視点での服選びはしてきたつもりだけど、これからはもっと、自分の装いを通じて誰かの暮らしが成り立っているということに敏感でいなくてはと思います。
SDGs(持続可能な開発目標)の8項目めには、人間らしい雇用と経済成長、12項目めには作る責任と使う責任が掲げられています。これからより多くの人が、ものを賈うときに環境への負荷が少なく、搾取や不当労働行為に加担しないことを重視するようになるでしょう。
自分の消費行動は、世の中を形作るんですよね。お財布の中から、世界を変えることはできるのです。

見せる装いから感じる装いへ、自分へのご褒美を社会への意思表示に。巣篭もり在宅ワークは、新しい豊かさを生みだす現場なのかもしれません。
 

前回記事「【小島慶子】コロナ危機で夫婦の対話は深まる?「夫と話すべきなのは…」」はこちら>>

 
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