デビュー曲がミリオンセラーに

【小柳ルミ子芸能生活50年】宝塚は通過点、人生を決めた17歳異例の決断_img3

誰にも頼れない。自分の人生の責任を取れるのは自分だけ――。
幼い頃からそんな環境で生きてきたからこそ、小柳さんは周囲の声に惑わされることなく、自分の目指す道を真っすぐ突き進むことができたのでしょう。
そうして1971年、歌手・小柳ルミ子が誕生します。デビュー曲の『わたしの城下町』はじわじわと売り上げを伸ばし、気づけばオリコン13週連続1位という快挙に。新人として異例のミリオンセラーとなり、その年の紅白歌合戦への出場も果たしたのです。

 

「こればっかりは本当に運もありますから。長年歌手をやっていても、曲に恵まれず一曲のヒットも出せずに散っていく方が多くいる中、私は本当に幸運でした。
でも振り返ると、母の教育のおかげで、どんなに苦しくても逃げずに立ち向かったことは大きかったと思います。私の哲学には“自分に厳しく他人に優しく”というのがあるんですね。人間って弱いから、一度自分を甘やかすとずーっと甘くなってしまうんですよ。“苦しみ”という扉があったとき、それをこじ開けないでズルして逃げてしまうと、次はもっと大きな扉が立ちふさがるんです。そうすると、また逃げる。そしてまた、もっと大きな扉が現れ、また逃げる。結局開け方を知らないから、逃げる人生になってしまうんですよ。
でも私は絶対に逃げませんでした。芸能生活50年。これまでどれだけの鉄の扉を開けてきたか分かりませんが、どんなに大きな問題でも自分で決めて、自分で戦い克服してきた。それだけは間違いなかったと確信していますね」

【小柳ルミ子芸能生活50年】宝塚は通過点、人生を決めた17歳異例の決断_img4
 

その後も小柳さんは、今でも歌い継がれ、誰もが知るヒット曲を次々と世に送り出していきます。『瀬戸の花嫁』、『星の砂』、そしてあの『お久しぶりね』……。
清純派アイドルから本格派の歌手として成長を遂げ、まさに絶好調のさ中、小柳さんは突然のヌードに!
次回は、その決断にまつわる小柳さんの哲学をお届けしたいと思います。

取材・文/山本奈緒子
撮影/Junko Yokoyama (Lorimer management+)
構成/片岡千晶(編集部)

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