歌手、ダンサー、女優、そしてサッカー解説まで、68歳となった今もなお、新しい一面を見せ輝き続けている小柳ルミ子さん。今年、芸歴50周年を迎えたことを記念して、これまでの人生の転機を振り返って頂きました。
今回は、清純派アイドルを経て歌手として成功を収めた全盛期でのヌード挑戦。世の中が騒然とする一方、そこには自分らしさを貫く小柳さんの哲学があったのです。

 

小柳ルミ子
1952年7月2日生まれ。福岡県出身。15歳で宝塚音楽学校に入学。首席で卒業後、芸能界入り。1971年に『わたしの城下町』で歌手デビュー、最優秀新人賞を受賞。その後、『瀬戸の花嫁』、『星の砂』、『お久しぶりね』など数えきれないほどのヒット曲を世に送り出し、日本歌謡大賞など多数受賞する。1982年より女優活動をスタート、映画『誘拐報道』で最優秀助演女優賞、83年には主演映画『白蛇抄』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。1989年にバックダンサーだった大澄賢也さんと結婚。2000年に離婚。サッカー知識が深いことから、最近はサッカー解説などでも活躍している。公式ブログはこちら

 

 

女優への挑戦、そしていきなり最優秀賞を受賞


小柳さんは1971年に歌手デビューし、『わたしの城下町』、『瀬戸の花嫁』などヒット曲を連発。大成功をおさめると、1982年から本格的に女優としての活動もスタートさせます。そして初出演した映画『誘拐報道』(1982年)で、何といきなり日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞したのです。

「でもこの出演には、事務所は大反対でした。清純派歌手として売っていた私が、犯人の妻という汚れ役を演じることも理由でしたが、何より『うちの看板歌手がチョイ役で出るなんて』と許せなかったようです。
でも私はどうしてもこの役がやりたかった。それで一歩も引かず、粘りに粘って、とうとう撮影スケジュールを空けてもらったのです。結果、アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞。後に、賞を逃した女優さんの一人が、『なんで小柳ルミ子が獲るのよ!歌手なのに!』と六本木の飲み屋で荒れていたと聞きました。
そのくらい私の女優挑戦の反響は大きかったし、その後の私の人生も変えてくれましたね」

この出演を機に、様々な出演オファーが舞い込むように。しかし小柳さんが次に受けたのは……、何と脱ぐ仕事だったのです。
今でこそ女優がステップアップのためにヌードになるというのは、当たり前のこととなっています。でもかつては、“脱ぐ=落ち目の人”という印象が強かったもの。小柳さんが初主演映画『白蛇抄』(1983年)でヌードになったのは、まさにそんな時代でした。
しかも小柳さんの場合、その直前にはあの誰もが知る名曲『お久しぶりね』がリリースされ、大ヒット中というタイミング。
脱ぐ必要性など全くなかっただけに、当然周囲からは猛反発を食らいました。

「実はヌードになることは、事務所に相談せず自分一人で決めたんです。だって話したら、絶対NOって言うに決まってるから。結果的に映画は大ヒット。私は日本アカデミー賞最優秀主演女優賞までいただくことができましたから、自分の選択に間違いはなかったなと思いました。

……あのね、私は常に、自分で自分をプロデュースすることができないと長く生き残ることはできない、と思ってきたんです。当時はたしかにヒット曲を出していましたけど、デビューして13年。私も30歳になって、『このままだとズルズル歌謡曲歌手で終わってしまう、何か行動を起こさなければ』と焦りがあったんです。
でも女優のオファーをいただいたとき『これで変われる!』と確信した。自分の判断を信じて突き進んで良かったと、心の底から思いますね」

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【写真】人気歌手・女優として……懐かしの秘蔵カット
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