さまざまな人が自由に文章などを発信できるメディアプラットフォーム「note」で注目を集めているのが作家の岸田奈美さん。岸田さんの弟は知的障害を抱えており、中学3年生の時に父が急性心筋梗塞で急逝。高校1年生の時には母が倒れて病気の後遺症で下半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされます。また、岸田さん自身も大学在学中から10年間働き続けた会社で心身のバランスを崩して休職してしまうことに。そんな中、昨年9月から「note」に家族の思い出を綴るうちに、どこまでも明るくて楽しく、時々泣けてくる不思議な文章に魅了される人が続出。9月23日に発売された初単行本『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は、発売からわずか数日で三刷という、新人としては異例の売れ行きとなっています。そんな岸田さんにお話をお聞きしました。

 

岸田奈美 1991年、兵庫県神戸市生まれ。関西学院大学人間福祉学部社会企業学科卒業。在学中から「バリアをバリューにする」株式会社ミライロ設立に携わり、10年にわたって広報部長を務める。2019年に作家として独立。現在、講談社「小説現代」でエッセイを連載し、「文藝春秋」の巻頭随筆を担当。

 


思い出したくない嫌な記憶も
書いて物語にすると愛おしいものになる


岸田奈美さんが「note」に初めて文章を投稿したのは、2019年6月のこと。岸田さんが心身の不調で休職中にダウン症の弟とテーマパークに旅行に行き、その道中で弟の行動を通して励まされた話や、弟を万引き犯として疑ってしまった話、突然倒れて下半身不随となり、絶望的な状態にある母に「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」と言った日の話などをアップしていくたびに、SNSを通じて拡散され、反響を呼ぶようになります。大学時代から10年働いてきた会社を辞めて専業作家となり、今年9月には初単行本『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が発売に。その展開の速さに驚いているのは岸田さん自身でした。

「私は自分が好きなものや愛しているものを自分ひとりに留めるんじゃなくて、みんなにも知ってもらって楽しんでもらいたいという“愛のおすそ分け”がすごく好きなんです。それができるだけでもうれしいのに、noteでサポート機能(投稿者を金銭的にサポートできるnoteの機能の一つ)していただけるようになりました。さらには写真家の幅野広志さんが家族写真を撮ってくれ、出版社が声をかけてくれて本という形になったんです。1年間、私が人に愛を伝えてきたら、今度は私を愛してくれる人がたくさんでてきてくれて、本当にうれしく思っています」

岸田さんが書く文章には勢いがあり、読み手をぐいぐいと引き込む力があります。言葉の選択や表現がユニークで、読みながら頻繁に吹き出してしまうほど。突然亡くなってしまった父や下半身不随の母、ダウン症の弟と、ともすれば深刻になりがちな話になりそうですが、岸田さんが語る家族の話にはどれも温もりが感じられます。岸田さんが所属するクリエイター・エージェンシー「コルク」代表の佐渡島庸平さんは、彼女の文章を「たくさん傷ついてきた岸田さんだから、だれも傷つけない、笑える優しい文章が書けるんだと思うよ」と評しました。

「佐渡島さんにこう言われた時、今まで自分ではマイナスやハンデ、コンプレックスに感じていたことが、書くことによって価値あるものに変わったと思えました。書けば書くほど自分が生き返り、自信が持てるようになってきたんです。お父さんが死んだことや、お母さんが歩けなくなったことはそのままだと思い出したくもない嫌な記憶かもしれませんが、それを書いて物語に変えていく。その過程でいい場面にも目を向けることになり、それを繰り返していくうちに、愛おしい記憶になっていったんです」


些細な出来事に目を向けて
自分で自分を救うものを自分で作るしかない


岸田さんはこの1年間、過去の出来事や記憶をなぞり、些細な出来事に目を向けて書き続けることでいいことや悪いこと、好きなことや嫌いなことなどさまざまなことに気づき、書いたものを人が読んで楽しんでくれることに喜びを感じていくようになりました。とはいえ、毎日ネタになりそうなドラマチックな出来事があるとは限りません。

「インスタグラムを始めたら“映える”ものを撮り始めるのと同じで、書き始めると小さなことでも気づくようになります。一方で、人生においてトラブルはあまり起きない方がいいはずなのに、それが見つからないとなぜか損した気分になったりもします。でもそれって本当は幸せじゃない。トラブルが起きなくても、私が見ているものや感じていることには絶対に何かしら物語はあるはずで、何事もなかったことも丁寧に書いていこうと最近思うようになりました」

岸田さんは、何でもない日常に目を向けて物語にする作業を通して、自分自身を救うことができたと実感しています。

「物語では出来事と感情を書きますが、それには理由が必要です。例えば道端にたんぽぽが咲いていたとします。インスタグラムならその写真を撮って、『道端にたんぽぽが咲いててうれしかった』でいいかもしれません。でも、言葉にするのなら、道端のたんぽぽという小さな存在に気づく自分にうれしくなったのか、そのたんぽぽが忘れられた存在のようで自分を重ね合わせて悲しい気持ちになったのか、いろんな捉え方があるはず。そして、それは全部真実です。どんな物語を取るかによって、自分を救うことにもつながるはず。今、コロナなどで自分ではどうすることもできないないことがたくさん起こっています。そんな時は自分で自分を救うものを自分で作るしかないし、それによって見え方も違ってくると思うんです」


“家族は選べない”という呪いに苦しめられないために


この本に綴られたエッセイの多くは、家族の物語。そして『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』というタイトルからわかるように、岸田さんは他界した父、車椅子生活の母、ダウン症の弟に惜しみない愛を注いでいて、家族もまた岸田さんを愛している様子が伝わってきます。

「よく言われる“家族は選べない”というのは呪いだと思っていて、家族は自分で選び取ることができます。私は障害のある家族がいるから家族を大事にしなさいって言われたりしてきましたが、弟は施設に預けたら縁を切れるし、私だって家を出ていける。でも、私は家族と一緒だと元気になれるし、楽しいから一緒にいる。自分はそうじゃないという人は家族をやめてもいいし、自分が選んだ家族だけを大事にしてもいいと思うんです」

岸田さんは、家族を愛する距離感も自分で知っておいたほうがいいと言います。例えばずっと一緒にいると喧嘩をしてしまうけど、年に1回なら大丈夫だというならそれでもいい。法的につなぐものがなくても一緒にいたいならいてもいい。世間がどうだとか、普通はこうだとか、誰かに強制されることではないと。

「人とつながる手段が増えたり、今までにない方法でつながったりしている今だからこそ、距離のとり方や愛し方を自分でちゃんと知っておかないと、固定観念や呪いにとらわれて、自分の幸せが見えなくなってしまうと思うんです」

コロナ禍で先の見えない状況が続き、不安に思う人や辛い思いをしている人、“こうあるべき”という固定観念に苦しめられている人は少なくありません。自分が愛すべきものを自分で選び取り、その愛を惜しみなく“おすそ分け”している岸田さんの物語の数々には多くの示唆があり、誰かの支えになってくれそうです。

「私はお父さんが亡くなって、お母さんが大変だった時に、自分を救ってくれる物語が世の中に存在していませんでした。だから時間による解決に頼るしかなかったけど、その時に救いになる物語があればもう少し回復が早かったかもしれないし、もうちょっと楽だったかもしれない。この本は誰かの支えになるために書いたわけではないけど、誰かの心の杖になり、その人が歩くのに少しでも楽になったらすごくうれしいです」

 

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』
岸田奈美 小学館
 

笑えて泣ける岸田家の日々のこと
車いすユーザーの母、
ダウン症で知的障害のある弟、
ベンチャー起業家で急逝した父――

文筆家・岸田奈美がつづる、
「楽しい」や「悲しい」など一言では
説明ができない情報過多な日々の出来事。
笑えて泣けて、考えさせられて、
心がじんわりあたたかくなる自伝的エッセイです。

取材・文/吉川明子
構成/川端里恵(編集部)