差別をなくすために生涯を捧げたギンズバーグ氏の功績

2019年、パネルディスカッションで男女平等について語るギンズバーグ判事。 写真:AP/アフロ

法曹界のみならず、なぜ、多くのアメリカ国民が一人の最高裁判事の訃報にここまでのショックを受けているのでしょうか。それは、単に自立した女性のロールモデルを失ったからというだけではなく、彼女の死で、生活が直接変わってしまうかもしれない人がたくさんいるからです。特に影響が大きいと考えられるのが、女性、そしてマイノリティの人々です。

最高裁の判事になってからもそれ以前も、ギンズバーグ氏は男女差別、LGBTQの人に対する差別などをなくすための活動の象徴でした。彼⼥がロースクールを卒業したのは1959年。その成績はトップだったにもかかわらず、女性であるということで仕事に就くことができませんでした。しかし、優秀だった彼女は弁護士として独自の戦略を使い、性別による差別をなくすために戦います。

ギンズバーグ氏が法曹界入りした当時の最高裁は、白人男性で構成されていました。彼女は女性の権利を守るべく、男女差別は男性にも影響するということを判事に理解してもらうという戦略を用います。いわゆる逆転の発想です。ギンズバーグ氏はアメリカ合衆国憲法修正第14条の「平等保護条項」に着目しました。この条項は本来、南北戦争の後に奴隷から解放された人々を法の下に公平に扱うよう定められたものでしたが、「どんな人にも法律による平等な保護を拒んではならない」という書き方がされているので、彼女はこれを男女差別に当てはめたのです。

1973年の裁判では、家計を支えるのは男性であるという概念から、男性は一定の基準を満たさなければ扶養家族として認められないという法律にギンズバーグ氏は異議を唱えます。妻が空軍に所属している男性も、扶養家族として住宅手当などの恩恵が受けられるよう、「平等保護条項」のもと男女は平等であると訴えて勝訴しました。司法下における男女差別の是正において、男性の権利をも守ってみせたのです。

最高裁の判事となった後は、バージニア州の軍事学校において女性の入学が認められないのは「平等保護条項」に違反するという判決を下すなど、男女差別が違法となる基準を、人種差別の基準と同じレベルにまで引き上げることに貢献しました。

 

ギンズバーグ不在となった、これからのアメリカ最高裁

2020年9月、上院議員との会談に臨んだバレット判事。 写真:代表撮影/ロイター/アフロ

今年10月、トランプ氏が指名した保守派のバレット判事が正式に最高裁判事として就任したことで、現在、最高裁判事9名のうち共和党に指名された判事が6名、民主党に指名された判事が3名となりました。これで、トランプ氏は大統領として3名の最高裁判事を指名したことになります。保守化が進んだことで、最高裁が下す判決は、今後マイノリティの人々にとってさらに厳しいものになるだろうと予想されています。

バレット判事は、特に人工妊娠中絶に反対の立場を取っていることで知られており、個人的な思想を判決に反映させないとは言っていますが、多くの人々の間には、今後人工妊娠中絶に関する規制が強化され、手術が受けにくくなるのではという不安が広がっています。

選挙中も拡大した司法への不安の声


また、大統領選前のアメリカでは、コロナ渦でのイレギュラーな環境の中、有権者が安全に投票できるよう選挙の方法をめぐってたくさんの訴訟が起きていました。アメリカは州ごとに投票のシステムが異なるため、郵便投票ができる人の基準、郵便投票の場合はいつまでに届いた投票用紙を有効とするか、投票箱の数など、黒人、ラテン系の人などのマイノリティが、住んでいる地域や地元の投票システムによって投票ができなくなるなどの不利益をなくすように多くの人が声を上げていたのです。

私が通うロースクールのプログラムでも、ニュージャージー州の裁判所に意見書を提出するなど、有権者がなるべく投票しやすい判決となるよう活動を行っていました。時には、州の裁判所だけでなく、最高裁が各州の選挙方法に関して判決を下すこともあります。大統領選が終わった後も、各州で行われた選挙方法に関し、最高裁を巻き込む新たな訴訟が起きるかもしれません。