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【紀子さま秘話】結婚前に母がメガネをキラリと光らせて言ったこととは?

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結婚の朝、ピンクのワンピースに真珠のアクセサリーも初々しく


ご成婚は納采の儀から半年後、6月29日の大安吉日に執り行われました。午前6時25分、川嶋家に宮中からお迎えの車が到着します。礼宮さまのお使いの侍従がお迎えに来たのです。

紀子さまは淡いピンク色のワンピースに身を包み、同色のお帽子をかぶられています。胸元には真珠のネックレス、耳にも三粒の愛らしい真珠のイヤリングが輝きます。手には、白とピンク、金のビーズ刺繍をあしらったバッグをお持ちになっています。

写真/ともにJMPA

初々しい姿の紀子さまは緊張気味で、いつものスマイルは見られません。
「行ってまいります。ありがとう存じました」
花嫁は家族に挨拶します。

父の川嶋教授は紀子さまの手を取り、二言三言、旅立つ娘を励ますように言葉を交わしました。紀子さまが母の和代さんに声を掛けますが、母はうつむいて涙ぐんだままです。
紀子さまは、想いを断ち切るように車に乗り、もう一度会釈しました。
車は静かに動き出します。母の和代さんは顔を上げられません。父は車が見えなくなるまで手を振り続けていました。

 

『源氏物語』から抜け出したような美しい十二単で


皇居の南西の緑の森に包まれた宮中三殿の中央に、結婚の儀の舞台となる賢所(かしこどころ)があります。
午前10時8分、賢所の東回廊に回る廊下に妃殿下になられる紀子さまのお姿がありました。

写真/宮内庁提供

大垂髪(おすべらかし)に十二単(じゅうにひとえ)をお召しになり、頭にはかんざしと釵子(さいし)が輝いています。6月の結婚式は戦後初めてのことで、十二単は夏用の生地の紗(しゃ)を中心に新調されました。美智子さまがご結婚のときには、十二単は姑にあたる良子(ながこ)さまのお召しになったものを直し、袴だけが新調だったのです。
目にも鮮やかなお召し物は、白と萌黄色(もえぎいろ)の唐衣(からぎぬ)、その下には黄色っぽい表着(うわぎ)である打衣(うちぎぬ)。さらに白の表地に裏地の色を変えた五枚の五衣(いつつぎぬ)。

淡い色の色調は、6月という季節にちなんだもの。人々の関心を集めていた唐衣の模様は「卯の花襲ね(かさね)」でした。図柄の候補としてあじさいや初夏の草花もあがっていましたが、卯の花の可憐さと淡い色合いが紀子さまの清楚で可憐なイメージにぴったりということで決められたといいます。

表着は「花橘襲ね(はなたちばなかさね)」、五衣は「なでしこ襲ね(かさね)」、最後は成人を表す裳(も)、その裾を女官がかがんで持ちます。まるで『源氏物語』の世界を現代に映し出したかのようなお姿でした。

欄干越しにゆっくり足を運ばれる紀子さまのお手元には、袖口でそっと支えた檜扇(ひおうぎ)がかすかに揺れています。先に進まれる秋篠宮(礼宮)さまは、雲鶴(うんかく)模様の黒の束帯(そくたい)姿です。
詳しくは「闕腋袍(けってきのほう)に垂纓(すいえい)の冠」といい、手には白木の笏(しゃく)を持たれている成年皇族のいでたちでした。

その日を境に、川嶋紀子さんは「紀子妃」となられたのです。

渡邉みどり(わたなべ・みどり)

皇室ジャーナリスト、文化学園大学客員教授。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網に入社。1980年、「三つ子十五年の成長記録」で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞。1989年の昭和天皇崩御報道ではチーフプロデューサーを務める。著書に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』(こう書房)、『美智子さま 美しき人』(いきいき)、『美智子さまの生き方38』(朝日文庫)など、監修に『とっておきの美智子さま』(マガジンハウス)、『美智子さま あの日あのとき』『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』(ともに講談社)など多数ある。

文/高木香織

前回記事「【紀子さま秘話】納采の儀の晴れ着に込められた美智子さまの思い」はこちら>>

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