裁判所の判事は、政治家とは異なり、国民による選挙というプロセスを経ていません(日本の最高裁判事には国民審査というプロセスがありますが、政治家と比較すると民意を反映しているとまでは言えないでしょう)。あくまで法律のプロとしてその職務に就いています。選挙という民主主義の根幹に関わる問題を裁判所に委ねてしまえば、結局は国民がリーダーを選ぶという選挙制度のそのものが価値を失ってしまいます。

つまり、民主国家である以上、民意以上の力を持つ存在があってはならないという話ですから、米国では、選挙の敗北者が、自ら負けを認める形で選挙結果を示すことが慣例になってきたと考えられます。トランプ氏が負けを認めないのは危険な行為だと言ったのはこうした理由からです。

11月14日、首都ワシントンで開かれたトランプ派の市民による大規模集会。トランプ氏が「票が盗まれた」とする選挙結果に抗議した。 写真:ロイター/アフロ

不正選挙が取り沙汰されたのは、実は今回が初めてではなく、ジョン・F・ケネディ大統領(第35代)が勝利した1960年の大統領選挙でも不正を指摘する声が上がりました。しかし、この選挙で敗北したリチャード・ニクソン氏(後の第37代大統領、ウォーターゲート事件で辞任)は、不正選挙を政治問題化すれば米国の名誉を汚すことになるとして、言及を避けたと言われています。

 

この話には諸説あるのですが、結果として不正選挙であると批判しなかったニクソン氏の行動は、最終的に米国の名誉と民主主義を守ったといってよいでしょう。その意味では、後になってから不正選挙を口にした今回のトランプ氏の行動は、米国の歴史における大きな汚点となるのはほぼ間違いありません。

冒頭でも触れましたが、自身の立ち位置を自分自身で決めるというのは、上場会社のトップも同じことです。株式会社の意思決定システムは、基本的に民主主義の制度をベースに作られていますから、多くの共通点があります。

最終的に取締役の選任は株主総会(民主主義でいうところの選挙)で決定されますが、基本的に株主総会は1年に1回しか開催されません。たいていの場合、企業の経営者は総会でクビになる前に、自らの立場を理解し、出処進退を決めるのが慣例となっています。こうした行動ができる経営者がいる会社は信頼できる会社であり、投資家も安心して投資ができるというメカニズムが働いているのです。

ところが一部の企業では、業績が悪化したり、不祥事を起こしてもトップが居座り続けるというケースがありますし、驚くべきことに国内のある有名企業では、株主総会の議決権行使書の一部が無効にされるという前代未聞の事態も発生しています。こうした出来事が続くと、日本の株式市場の信頼性が低下し、最終的には高いコストを支払う結果となりかねません。

今回の一件で、米国の国際社会における信頼感は大きく低下しましたし、それは日本の株式市場についても同じことが言えます。私たちの社会は信頼をベースに構築されているという現実について、あらためて認識する必要がありそうです。

前回記事「バイデン政権誕生で景気はどうなる?!カギは「脱石油」と「富の再分配」」はこちら>>

 
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