就活生の皆さんを責めるわけではありませんが、実は就活生自身もこうした同調圧力に加担しています。典型的なリクルートスーツを着てこなかった就活生仲間に「こんな服装で大丈夫なのか?」「本気で就職する気がないんじゃない?」と聞く人が一定する存在するなど、意識せずに画一的行動を要求していることがあります。単なるマウンティングではなく、そこには友だちとしてアドバイスしているという「善意」が紛れ込みますから非常に厄介です。

ある合同説明会にて。写真:森田直樹/アフロ

以前、このコラムで過剰なクレーマーのことを取り上げたことがありますが、根っこにある問題は同じです。いわゆるモンスタークレーマーには毅然として対応すべきだという話は社会の共通認識になっているにもかかわらず、今でもクレーマーに土下座されられたといった話がなくなりません。

 


この問題が解決しないのは、クレームを受ける側の組織内部に実は「敵」が存在しているからです。

顧客に対して毅然と対応する社員はたいていの場合、褒められることはなく、場合によっては「やり過ぎだ」「問題を大きくしている」と言って責められます。他人のことが過剰に気になり、その人の足を引っ張りたいという人物が社内に大勢いる限り、こうした問題はなくならないのです。中には大したクレームが来ていない段階から、「クレームが来たらどうするんだ」「謝罪しろ」などと言って卑屈な顧客対応を部下に要求する上司もいます。

企業の担当者は個性的な人物を採用したいと思っていても、もしそうした学生を採用して、すぐに辞めてしまったら「社内の誰かに批判されるのでは?」と考えてしまい、結局はこうした個性的な学生の採用を無意識的に躊躇します。人材会社でもそれは同じことであり、「個性的なスタイルで就活しましょう」と提案して、結果がうまく行かなければ、その担当者が責められる可能性は高いでしょう。

この問題は、ルールや理屈よりも情緒を優先させる共同体的な日本社会の本質に由来していますから、タテマエで「自由にしよう」といってもほとんど解決策にはなりません。組織における人材評価について事前に評価基準を定め、基本的にその基準のみに従って評価を下すという合理的な組織運営を徹底しない限り、同じような問題が繰り返される可能性が高いと考えられます。

労働者が企業に労働力を提供して、見合った対価をもらうだけというドライな関係は、いわゆるグローバル企業によく見られるものですが、困ったことに、日本人の多くがこうした組織カルチャーを嫌っています。ウェットな人間関係と、価値観の押しつけはセットになりますから、両立させるのは難しいのです。厳しい言い方になりますが、こうした悪い習慣の継続を望んでいるのは、他ならぬ私たち自身なのです。

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